森会長「女性蔑視」問題に思う
私の様にコーチをしている人間は相手のいう事を肯定も批判もせず、まず「受け止める」事を心がけます。(ですよね?)
「受け入れる」ではなく「受け止める」
クライエントが社会的に間違った事を言っていても、まず、「この人はこういう風に感じているんだ。こういう考えを持っているんだ。」と受け止めるんです。
「社会的に間違った発言」に自分の考えを合わせて賛同する(受け入れる)必要もなければ、否定して相手の考えを正しく導く必要もありません。
受け止める事によって「否定・拒絶・批判されない」と感じたクライエントは自由な発想を安心して話せるようになるんです。それが自己肯定感・自己効力感・自信となり、前向きなモチベーションに繋がります。それがさらなる自由な発想や前向きなチャレンジにつながるんです。
さて、今回の「森会長問題」に際して私は以下の様に考えます。
人には思想の自由、思考の自由があります。その自由な思想・思考に基づいて他人の自由や権利を侵害し始めれば周囲が対応する必要があるでしょう。
今回、森会長は女性を排除しようとしてどなたかの自由や権利を侵害したのでしょうか。会長の思想として「女は競争心が強く話が長いから理事会での人数を抑えるべきだ」という思いがあったかもしれません。(こう言っている人もいるとの紹介発言だったように思いますが。)しかし仮にそうだとしても、その信念に基づいて理事会から女性を排除するための行動を起こされていたのでしょうか。
もし、JOCという組織が健全であれば「いやいや、会長はそう思っていても世間体のために女性を増やさなければ」「男性より女性の方が優秀なんだから女性をもっと増やさないと」「男とか女とかそういう問題じゃなく優秀で実績がある人間を理事にしてその結果が全員男でも全員女でも良いじゃないか」という多様な考えの下に運用すべきではないでしょうか。
トップの思想に対して忖度し慮って行動する、トップの下には志や正義感のない組織であれば今回の様に外圧によってトップを交代させるという手段もあるかと思いますが、成熟した組織であればトップの間違いを組織内で正すことが事が可能だと思います。という事は・・・JOCは未成熟の組織であることを内外に示してしまった結果となったのではないでしょうか。
「森会長個人はそう考えているが、あくまで会長個人の認識であり組織としての決定事項ではない。多様な意見を持つ人間の集まるJOCはすべての個人の意見を尊重するが、組織としてはジェンダーで人を判断する様な事は無い。」くらいのことは言えなかったのでしょうか。
そして大喜びで他人の発言を批判するフェミニストやメディアの方たちは、森会長の発言が「間違っている」と批判したいのであれば「女性が多い会議」と「男性のみの会議」の有効な発言数、無駄な発言数、会議時間、決定事項の有効性等を比較分析してデータで示して突き付ける必要があると思います。それが出来ないのであればその方達の批判はあくまで感情だけのもので何の根拠も無いものであり、ただ感情だけで動いているイジメやサベツと何ら変わらない物だと思います。(たとえ事実であっても女性・男性で差がある事を口にするのが悪という事であれば仕方ないですが、それも個人の認識であり他人に強要するものではないと思います。)
多様性が叫ばれる時代において前時代的な思想・考えを全否定する風潮には全く多様性が無いと感じるのは私だけでしょうか。
声の大きい人が正義、弱者擁護こそ絶対正義、正義を否定するものは「悪」・・・?
正義なんてものはあくまでその時代、その集団での判定であり不変なものでは無いと思います。その中で他を受け止める事無く自分の正義を信じてマイノリティーを排除するのはいかがなものでしょう。
マジョリティーもマイノリティーも堂々と自らの主張を行い、皆で議論し判断してその時代・その集団でのベターを探る事はできないのでしょうか。