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一本の柱とココナツ。先住民の最強の神殿

今日はインド先住民の神様の話。ヨガの太陽礼拝をしていたら、なぜかその話を書きたくなったから。

朝から雨だったこともある。家族はまだ起きてこない。シンとしたリビングでヨガのポーズを続けていたら、雨音がしとしとと耳に響いて、そのままさーっと体に染み入ってきた。そして雨の向こうに太陽があった、と言うと引かれるかな。でもそこでなぜか全身に万能感が漲ってきた。太陽の光が暖かかった。人はなんて不思議な存在なんだろう。

2013年、ゴンド画で有名なゴンド族が住むパタンガル村を訪ねた。

土壁と瓦屋根の質素な家に住む人たち。扉のない洞窟の一室みたいな部屋で目覚めたら、見知らぬ犬がそばに寝ていたっけ。土間に出ると、家の奥さんが、灰と墨と土で床絵を描いていた。ビーティーチットルと呼ばれる、なんとも美しい幾何学模様。それは神様が座る'御座’。その土間には写真のように一本の柱があり、写真に入らなかったけれど、先端には白い三角の旗の形の布が風を受けていた。柱の根元にはココナツの実、そして聖なる木と言われるトゥルシーが植えられている。それらが神様を迎えるしつらえのすべて。

インドには400以上の先住民部族があると言われている。彼らの多くは神殿を持たない。

ワルリ族はジャングルの中の石を指差して、「あれは神様が座る椅子」と言う。近づくと石にポツンとオレンジの点がある。神様のいる場所にはオレンジや白の点があって、ただならない気配が漂っているような・・・うん、確かにここには何かがいる、と確信してしまう。

そんな一方でギリシャの神殿やヨーロッパの大聖堂や日本の神社の建造物としての素晴らしさが脳裏をよぎる。宗教はどうして始まったのか。いにしえの人々が農業に目覚め、定住し始めたころ。いつ種をまき、いつ収穫するのがいいのか、星を読む人、神様からの伝言を伝える人がリスペクトされ、やがて、その人たちが権力を持ち始め、その権力の象徴として神殿がどんどん立派になっていった。

先住民の村にシャーマンや神話の語り部たちはいる。けれど、彼らは他の村人と同じように農業で糧を得ていて、権力とは無縁だ。最近考えているのは、シンプルな祭壇は最強なんじゃないか、ということ。

ビーティーチットルを描く、家の壁にレリーフで模様を描く、その行為がタラブックスの絵本『夜の木』で世界的に有名になったゴンド画の原点と言われている。

今、私たちが運営しているアートスペース&手仕事ギャラリー「ツォモリリ文庫」でインド、先住民の絵の展示をしている。オンライン展示からリアル展示に移行したところ。彼らの絵そのものから、立ちのぼる聖なる妖気のようなものを感じてもらえるはず。

展示の詳細 http://tsomoriribunko.com/indian-tribal-art2020/



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