【短編小説】 杖とスマホとボタン押しと。
フォーーーーン、プシュゥ~
ザザザ・・タッタッタッ、カツカツカツ・・・
急行電車が到着した。
目的地に向かう人々はそれぞれに無言で、強い吸引力に抵抗することも無く、地上に向かうエレベーターに吸い込まれて行く。
各駅停車に乗る私はベンチに座って、誘導されるホコリみたいな人の流れを見ていた。
急行電車は20分に1本くらいの割合で、これから20分くらいはホームが穏やかな時間となる。
ひと通りホコリを吸い込んだエレベーターは、他の駅で吸い込まれるホコリを地上から落とし込んで来る。
杖を着いた小さなおばあさんが着地するタイミングをじっくり見定めながら、落りてきた。
小さく頷きながらタイミングを取って、エスカレーターのベルトから杖に重心を移しつつ上手くホームに降り立った。
「転ばなくて良かった」
私は勝手に安心して、前を通り過ぎるおばあさんを見送った。
視界からおばあさんが消えるか消えないかで「ドンッ」と何かがぶつかる音がした。
ハっと見ると、おばあさんが倒れ込んでいる。
「邪魔なんだよ、クソばばあっ!」
スマホを横に持ち、イヤホンから音漏れをさせて、見た目は普通の青年が、立ち上がれないおばあさんを罵りながら足早にエスカレーターに吸い込まれていった。
「おいっ!!」
私は青年に声を掛けたが彼には届かない。
追いかけるよりも、おばあさんに駆け寄り、
「大丈夫ですか?」と声を掛けた。
腰をさすっているおばあさんに肩を貸して立ち上がらせて、杖を拾ってベンチまで付き添った。
もう一度「大丈夫ですか?」と話し掛けると、「すいませんね、ご親切にありがとうございます。。」と、より一層小さくなったおばあさんが恐縮しながら返事をした。
「駅員さんを呼んできましょうか?」
頭でも打っていたら大変だ。
「いえいえ、ちょっと腰を打っただけですから。ありがとうございます。」
各駅停車が入って来て、私は乗り込んだ。
閉まるドア越しに、ベンチのおばあさんは私に向かってニッコリと会釈をしてくれた。
帰宅して、連れ合いが作ってくれた夕飯をテレビを見ながら食べていた。
駅の出来事を話していると、連れ合いは「そういう輩にはいつか罰が当たる」といって自分のことのようにプリプリと怒った。
タレントのどうでも良い不倫のニュースで、相方が「あ、この人、3回目だよ!」と言いながら、過去の不倫相手について詳細に教えてくれる。
滑らかな解説を聞いている最中、テレビ画面の上にニュース速報のテロップが表示されて、人身事故で電車が止まっていると流れた。
こっちの方が大事なニュースと思うけどな。
偏った平和だなぁと思いながら、ビールをひと口飲んだ。
翌朝、横でスースー眠っている連れ合いを起こさないように、ベッドを抜け出して出掛ける準備を始めた。
食パンを食べながら新聞の地域欄を読んでいると、昨晩の人身事故は歩きスマホが原因で、ホームに落ちる様子が防犯カメラに録画されていたとの記事だった。戒めのように掲載されている被害者は昨日の青年だった。
罰は当たった。
出掛ける前に眠っている連れ合いに「行って来るね」と声を掛けた。
連れ合いはベッドから小さく手をヒラヒラと振りながら「行ってらっしゃい」と返事をしてくれた。
おばあさんの顔と青年の顔を交互に思い出しては、因果応報だよなぁと思った。
今日の私の仕事はひとつだけ。
同僚数人と同時にボタンを押すだけ。
誰かのボタンが「当たり」で、地下に向かって一人が「因果応報」を全うする。
私にも「因果応報」が巡って来るのだろうか。
おばあさんの笑顔と連れ合いの寝顔を強く思い浮かべて、今日もボタンを押した。
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