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#11 知性と想像力について

知性は土台、想像力はジャンプ力みたいなものだと思っている。

このイラストみたいなイメージ。

どれだけジャンプ力(=想像力)だけ鍛えても、そもそもの土台(=知性)が低くて小さかったら、想像できる範囲はどうしても限られてしまう。

逆に土台だけ大きく高くなっても、ジャンプ力も同時に上がらなければ、想像できる範囲は小さいままだったり、うまく着地できなくなってしまう。

土台をしっかり大きく高くしていくこと、それと同時にジャンプ力も鍛えていくことによって、想像できる範囲は少しずつ広がっていく。

例えば、ぼくは中学・高校とずっと私立の男子校にいたので、ぼくの周りにいる人の同質性はとっても高くて、想像できる範囲は限られていた。純粋に、例えば女性は普段どんなことを考えて生きているかとか、大学生は何をしているかとか、わからなくて想像すらもことがたくさんあった。

大学生になり、少しずつそれまで会ったことのなかった人たちに会うようになった。東北で出会った人たち、子どもたち、おじいちゃん・おばあちゃん世代、外国の方々。いろんな人に会い、いろんな人の話を聞くことで、少しずつ自分の世界を相対化できるようになってきた。それを知性とここでは呼んでいる。(言葉の定義はもっと精度上げられそう、知性って何だろうね🤔)

それによって少しずつ、想像できる範囲も広がってきた。

外国のおじいちゃん・おばあちゃん世代はどうだろう、外国で暮らす日本人はどうだろう、九州の人たちはどうかな。アナロジーを適用していく感覚かもしれない。自分がすでに持っている知を使って、出会ったことない人への想像力を働かせる。

あるいは、自分の目の前にいる人が表現していない部分への想像も、そうやっていろんな人の物語を聞くことで、少しずつできるようになってきたのかもしれない。

でも、ここで気をつけなければいけないことは、あくまで想像は想像でしかないこと、そして自分がすでに知っていると思っていることも、本当に「知っている」わけではない、ということだ。

自分の知性にも想像力にも踏ん反り返らずに自覚し続けながら、想像力の翼を広げ、いろんな人のいろんな物語に想いを馳せることができるようになれたら、と思う。

想像力は優しさだから。

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なかむら
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