インドで物乞いに出会った雑感 #なかむらインド旅行記
こんにちは。インド6日目、もうすぐ折り返しのなかむらです。
今は首都のデリーから、ガンジス川近くのバラナシへ、電車で向かっているところです。
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インドには、イメージ通り物乞いがいました。そんなに多く出会ったわけではなく、街を歩いているとどこにも付いてくる、みたいな感じでもなかったけれど、貧しい暮らしをしているであろう人たちは、そこにいました。
痩せ細ってあばら骨が浮き出ているおじいちゃん。服を着ずに地面に座っている子ども。片足の膝から下がない女性。
ある時は、兄であろう青年に連れられた5歳くらいの女の子が、ダンスを見せてくることも。
道端で出会うそういった方々は、ぼくたちの姿を見つけると、すり寄ったり、土下座をしたり、手を合わせたりしながら、お金を求めます。
彼らがどのような暮らしをしているのかはぼくには全くわからないけれど、ぼくに比べたら、あるいはおそらくインドの平均と比べたら、貧しい生活をしているのは恐らく事実。
彼らは、貧しいこと、子どもであること、障害を持っていることを「利用」して、ぼくたちに「かわいそう」という感情を起こさせ、お金をもらおうとしているのでしょう。(「利用」という言葉を使いましたが、彼らが意図的にそのような側面を見せているのか、そうせざるを得ないのかはわかりません。)
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ぼくがそんな物乞いを見たときに出てきたのは、「かわいそうだなあ」ではなく、「そうかあ、しんどいなあ。しんどいよなあ。」みたいな気持ちでした。
正直、まだあんまり両者の違いはわかっていません。なんでぼくは「かわいそう」ではなく「しんどいよなあ」と思ったのか、あまりわかっていません。
仮説ですが、
・苦しい暮らしを強いられている中でも、何とか逞しく生きようとしている
・彼らの苦しさに何かしらの点で共感している
・彼らに対して距離を取って対象化しているからこそ、かわいそうとは感じられない
みたいなこともあるだろうし、
・かわいそうという感情は上から目線だと言われがちな中で、そんな感情を持つべきではないと思っている
・引っ張られすぎないように、あえて距離を保とうと思っている
とかもありそうです。
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綺麗な着地は全くないですが、自分のためにも雑感のメモでした。
また更新します。