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【おすすめの書】キリスト教は邪教です!の重要ポイント③

ニーチェは130年も前に私たちに
キリスト教のヤバさを伝えてくれていました。
私たちはニーチェが警鐘を鳴らしてくれていることに
全くと言っていいほど気付くことができず、
支配者や走狗などに騙され続けてきました。

キリスト教は一神教で最終的に戦争に辿り着いてしまう
危険極まりない害悪な宗教です。
この本はある程度、キリスト教のヤバさを知っていただくために
読んでいただきたい一冊です。

この本の中から重要だと思ったポイントを
紹介させていただきたいと思います。

キリスト教は同情の宗教

私は、今の人たちは本当にダメになっていると思います。
別に私は、今の人が道徳的になっていないとか、
そういう説教臭いことを言いたいわけではありません。
私は人々がデカダンスに陥ってしまっていることを嘆いているのです。
デカダンスというのは、つまり、皆さんやる気がなくなって、
ニヒルになって、なあなあになってしまっている。

私はいつも思っているのですが、
今の世の中で価値あるものとされているのは、
しょせんデカダンスにすぎないのです。
生まれつきそなわっている本能がダメになると、
人間は自分に対して害のあるものを
好きになってしまうことがままある。
それが、デカダンスです。
「人類の理想」なんて呼ばれているものは、まさにそれ。
腐りきってしまっている。

私は人間が生きることは、力がみなぎっていくこと、
力が続いていくこと、力をためこんでおくこと、
そして権力を手に入れたいという本能のことだと思っています。
今、世の中で価値があるとされているものは、
その正反対のものばかりではありませんか。

一言で言いましょう。
キリスト教は「同情」の宗教です。

注意しなければならないのは、
この同情という感情です。
同情などしていると人間は力を失ってしまうのです。

自然淘汰という言葉がありますね。
自然界では弱いものは生き残っていけません。
強いものだけが生き残ることによって、
その種は強くなっていくのです。
同情は、こういった自然界の法則をさまたげようとするものです。
できそこないに同情するわけですから。

こうして「同情」は、低レベルの人間を世の中にあふれさせ、
人間の生をいかがわしいものにしていったのです。

皆さんは「弱いものにはやさしくしなさい」と教えられたかもしれません。
でも、これは本質的な、高貴な道徳からしてみれば、ウソにすぎません。
私が「今の人はダメになっている」といったのは、
誰もが「同情」をいいことだと考えているからなのです。

ショーペンハウエルという人をご存知でしょうか。
この人はドイツの哲学者ですが、
何でもかんでも悪いほうへ悪いほうへと考えてしまう人なのです。
生きることにとても悲観的になってしまっている。
それなのでショーペンハウエルが
「同情」というものに肯定的だったのは当然でしたし、
ある意味で彼は鋭かったのです。
なぜなら、同情によって人間の生きる行為が否定されるわけですから。

「同情」は、人間の価値を低下させる道具です。
そして、その目的は、「あの世」とか「神の救い」
といった間違ったものに、人間を向かわせることなのです。

アリストテレスという人は、きっと皆さんもご存知でしょう。
古代ギリシアの大哲学者です。
この人はちょっと気のきいたことを言いました。
「悲劇というのは下剤みたいなものだ」と。
「同情」という病的でムカムカするものを、
さっぱりさせるには悲劇を観るのが一番であると言ったのです。
下剤を飲んで出してしまえ、と。これはさすがだと思います。

こういった不健康な「同情」に
私たちは一撃を加えなければなりません。

それが私たちなりの人類愛なのです。
そして、それによってこそ、
私たちは哲学者になるのです。

キリスト教は邪教です!(講談社+α新書)

同情すること(情を入れること)は
現在、邪気発生源になってしまっています。
他者の感情というのは絶対に立ち入ってはいけない不可侵領域で、
同調するのは自然界の法則に逆らう行為だからです。

ドラマを見てストーリーや登場人物に情を入れたり、
音楽を聴いて歌詞に情を入れる行為は
自ら悪神の餌食になりに行くような行為です。
悪神と繋がって邪気まみれになってしまうのも当然です。
現在は情を入れただけで潜在意識が破壊されてしまいますが・・・
そんな人の潜在意識など不要だから破壊されてしまうのです。

同情というのは悪魔術です。
絶対にやってはいけない行為なのです。

※キリスト教は自己受容・他者受容から大きく乖離していて、
カニバリズム(人肉嗜食)に繋がってしまう邪教です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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