逃げて、そんなところにいたら愛してしまうよ
どうしたって愛おしい、私の四天王たち。
愛してやまない四天王たち。
思い起こすと「好きだよ」と溢れてしまう、四天王たち。
ずっとずっと愛せてしまうよ。
大事な友人の大事な人は、私だって大事にできるだろうと思っていた。
私が大金持ちになって、一軒家を建てて、だだっ広い庭に焚き火台とバーベキューのできるスペースを作ったら、四天王とその家族を集めて楽しくお肉や野菜を食べてお酒を飲んで、子供達は傍で走り回っていて、最後にみんなで好き好きに花火をして、私はそれを縁側から眺めて、眠たそうな子供を抱えた四天王か配偶者をその家族専用の部屋に送って、みんなが寝たら私は1人で片付けをして、誰よりも遅く寝て誰よりも早く起きて、朝ごはんを作り、それぞれを見送って、私はそのでかい家で1人で過ごすことを夢見ていたのに。
大金持ちだってまだまだ遠いけれど、そちらの方が現実味があるんじゃないかと思えるほど、どうしても配偶者を受け入れられない。
私から四天王を奪った。(奪ってない)
四天王は私に愛されているだけじゃ足りないのか。(元々望んでない)
理性ではそういうことじゃないとわかっている、けれど、どうしたって大好きなのだ。四天王が極悪人になっても、私を殺しても、世界中から味方がいなくなっても。
極悪人になったら罪とは切り離して事情を聞くし、私を殺したかったらそれでいいし、なんなら殺されるなら四天王に殺されたいし、世界中が敵になるようなことがあっても私は無条件でそばにいる。根拠もなくそんなことをもう10年も思っている。
四天王は何があっても私のいちばん大事な人たちだから。それがもう出会ってからずっと変わらないから。
だから、そんな大事な人たちの大事な人になれた配偶者が羨ましすぎる。
「この人は私の大事な人です。一生大事です」と周りに宣言することに何も制限がないことが羨ましい。私もその権利が欲しい。
四天王からの見返りなんて少しも求めていないし、私の地位は四天王よりも下で、親友というより護衛の気持ちだからか、四天王が私を大事にしなくても全く問題はない。私は「恋人」という存在を素直に大事にできないので四天王と付き合いたいとも思わない。
それでも、できることなら一緒にいたい。そう、いちばんの望みは一緒にいたい、ということ。
将来は5人で同じ老人ホームに入りたい。
近所に住んで、全員の子供が幼馴染だったらいいと思う。
全員の親戚になりたい。
何人が配偶者を得て何人が子供を授かるかわからないけれど、その子供たちから「なんでもくれるおばさん」と思われても良い。毎年お小遣いをあげたいし、何かお祝いすることがあればプレゼントを送りたいし、何かを祝えるのが家族の次だとしても顔をみておめでとうと言いたい。
不安だろうから私に子供を預けるようなことはしなくていいけれど、私の家に四天王と子供で遊びに来てほしい。
もし一緒に暮らす人が誰もいない四天王がいれば、一緒に暮らしたい。一緒に暮らす人が全員いなかったらいいのに、とも思う。
おばあちゃんとおじいちゃんになっても一緒にいたい。
万が一1人になったら、絶対に私のところに来てほしい。
そんなことを、叶うはずのない今でも頻繁に考える。
四天王の愛おしいところは、自分が私の四天王である自覚があって、自分たちは何をしても許されることを知っているところだ。
何をしても許されるというのは、私が常にそう言葉にしているから知っている。知っていて時々「でもいいよって言ってくれるでしょ?」と確かめてくるのがとても可愛い。うん、いいよって言うよ。
そしてありがたいことに、四天王も私を大事にしてくれる。私を大事な友達と思ってくれているらしい。それもなんだかんだ、とても好きだ。それを時々口にされる時、ちょっと恥ずかしくてくすぐったくなる。
だから私もたくさん「あなたは私の四天王なんだよ」と伝えることにしている。
「あと三人もいるんだ」と言ってこないところも好き。四天王達に友情の順位がないからだと思う。時々それで私は「あの子と変わらないんだ…」と寂しくなるけど。私は友情にゴリゴリな順番がある人間なので、四天王のいちばんになりたいと思うこともある。だけど自分だっていちばんが4人もいるのだから文句はない。
四天王のいいところは、私を叱ってくれるところ。私は自覚なしに危ないことをしてしまうところがあるのだけれど、それでヘラっとしている私を心配して叱ってくれる。
さすがに私も経験が増えて危ないことを無自覚にすることも減ったけれど、それでも「どうか安全でいて、いなくなるようなことはしないで(自殺とかそういうことではない)」と言ってくれるのは、「私がいなくなるのは嫌なんだな」と思えてちょっと嬉しい。嫌というより私がいなくなることで居心地が悪くなるのが嫌なだけかもしれないけれど。でも、私に対して動く感情があるのが嬉しい。それだけで十分。
愛してくれなんて言わないし、思いもしない。
私が四天王を愛したいから愛している。
エゴだらけかもしれないし、結婚すると言われた時にはショックを受けたし泣きもした。連絡が取れなくなって病みもした。枯渇したし、常時考えていたし、配偶者や恋人にひどいことを言われていたら怒って殴りに行きたくなった。それは愛しているからというより、私の四天王を他人が傷つけるのが心の底から許せないから。四天王は誰も傷つけてはいけない。(そんなの無理)
そんなこともあって、四天王が結婚したら近くには住まない方がいいなとも思っている。配偶者よりも私の方が愛が強いと思っているし、利害関係がない分私の方が楽だと思っているし、なんでも許される分私の方が好き勝手に四天王が生きられるんじゃないかとまで感じているしまっているから。
ただ、こんなのは依存しているし、大事な人の大事な人を大事にできないのは良くないのもわかっている。だから近くにいすぎるのはあまり好ましくない。でも、2人は飛行機で行かないと会えない距離にいるのはちょっと遠すぎる。せめて電車で15駅くらいにしてほしい。
そうやって理性をきかせているつもりでも、四天王への「好きだ、一緒に入られたらいいのに」という思いは、四天王が頭に浮かぶたびに膨らむ。そしてそれと同時に、一緒にいられないことを理解している自分がその思いを抑え込んでいる。いつまで抑え込めるのだろう。いつまで、四天王の大事な人たちを嫌ってはいけない、と理性を働かせられるだろう。
四天王が配偶者や恋人との間で辛い思いをしていたら、すぐさま「別れて私のところに来たらいいのに」と思ってしまう。私は四天王と結婚できるわけでも、四天王が私と結婚したくなるわけでもないのに。でも「そんな人間と一緒にいるより私といた方がずっと幸せになれるよ」とも、冷静に思っている。絶対そうだから。異論は認めない。四天王に「それは違うよ」と言われたら秒で認めるけど。
大好きだ。年をとってそれぞれの世界が出来上がれば、この思春期にこじらせたような重たい気持ちも落ち着くのだろうと思っていた。のに、年々大きくなるばかりでだんだんと持て余してきた。だから私がまだ引きずって歩けるくらいの大きさのうちに、「それは重すぎw」と笑って大事な人を大事にしてほしい。お前の付け入る隙はないんだよ、と見せつけるように。
付け入る隙を見つけるの、私は大の得意なんだよ。
四天王は、私の家族と同じくらい、世界でいちばん幸せでいてほしい。私が幸せにすることは叶わないけれど、今の家族と、未来の家族と、幸せに生きてほしい。もし1人で生きる四天王がいれば、私と一緒に幸せになろう。
どうかこれから先の人生、四天王全員、つらいことなく、美味しいものをたくさん食べて、たくさん寝て、いつも健康で、大切な人と楽しく生きていけますように。
ずっとずっと願ってる。
私がおとなしく願っていられるうちに、逃げた方が良さそうだよ。
嘘だよ、何もしないよ。嫌われたら生きていけないから。
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