合格点に2.7%届かず試験に失敗した今、「自分に足りなかったもの探し」をやめると、自然体じゃないことに気づいた
5時間前に資格試験を受験し、合格点まであと2.7%届かずで不合格になりました。再受験に向けて「いったい何が足りなかったのか?」と考えるも途方に暮れ、足りないもの探しをやめたところ、自然体であることの大切さに気づきました。そんなことを綴ります。
大事な正念場を迎えようとしている方に、届きますように。
試験と、準備期間のこと
その試験とは、国際コーチング連盟(ICF)のCredentialing Examというもの。私の場合、3時間半の試験時間で、全78問に取り組みます。試験はコーチングにおける状況が文章で表示され、その状況に対して4つの選択肢から、コーチとして最良の対応・最悪の対応を選択する、という形式。
約1ヶ月半、学びの仲間とともに例題に幾度となく取り組み、何度も何度も議論を重ねた。解説するYouTubeも見た。慣れない英語に頑張ってついていって、分からないものを分かろうと努力した。体調整えるために大好きなビールも我慢した。大好きなポッドキャストを聴く時間をお預けにして、勉強時間にあてた。
学びの時間が、大好きだった。
日常の合間に、よくもまあここまで情熱を注げたものだと、本当に自分を認知してあげたい。
本番前日、そして当日会場まで
前日も学びの仲間とディスカッションを重ねた。整体行って、髪切って、自分にできる最大限の準備をした。奥さんが夕食にゲン担ぎのカツ丼をつくってくれた。合格して認定受けたらプロフィール更新しなきゃとToDoリストをつくった。当日朝早くから本番なので、早めに布団に入った。
当日。「寝坊しちゃいかん」と思うあまりか、また、遠足前日の小学生のような感じで、少し眠りが浅かった。でも、「そういう日もある」と思っていたし、実際、試験中に集中できないとかは無かった。
しかし、今思うと、少しこのあたりから歯車が狂い始めていたのかもしれない。いや、狂っていると認識しながら無視していたのかもしれない。
会場に向かう電車の中、お気に入りの曲を聴きながら、ICFの資料を見返す。たくさんの学びを得た時間を振り返りつつ、目頭が少し熱くなる。そして、駅に到着し、本当は左に進むところ間違えて右に進んで迷った後、会場に到着。応援してくれた皆さんに「行ってきます」を伝えたく、柄にもなく自撮りをしてみる。
が・・・ 今思うと、何だこの写真は。恥をさらすが、あえて載せる。
もし私が、この写真の人にコーチとして関わるならば、きっとこう伝えると思う。
今思うと、めちゃくちゃ肩に力が入っている。誰だこれは。
試験中のこと
前述の内容の試験、3時間半のマラソンが始まった。が、全然リズムを掴めない。マウスの動くスピード、椅子や机の高さ、すべてがしっくりこない。
私は、高校時代アルペンスキーの選手だった。この3時間半は、まるでリズムに乗れないレースのようだった。上半身、下半身、スキー板、雪、すべてが不協和音。そんなレースは、たいてい転ぶかコースアウトした。まさにコースアウトしないように、必死で3時間半を過ごした。
仲間との学びでは、「ICFのドキュメントではこう言っているから、このふるまいのほうが適切だよね」って湧いてきた。まるで、ICFのドキュメントをコンパスにして、自ら道を選んでいる感覚。
しかし、そんな感覚が、かけらすらない。残り時間に追われ、マウスとのギクシャクを感じながら、ただひたすら不協和音と学びの狭間で「しっくりきそうな選択肢」をドラッグ&ドロップするのに必死だった。
3時間半が過ぎ、試験を終えた。試験室を出て、会場のロビーに戻ると、すでにプリントアウトされた試験結果が私を待っていた。そこに書かれていたのは。
あと11点・・・ 200〜600点の400点レンジで採点されるから、11/400、つまり2.7%届かなかったといえる。1問か2問正しければ、Failなんて文字を見なくて済んだんじゃないか。
無情だと思った。その2.7%、届かなかったのは何が欠けていたからなんだろう?ずっと考えた。
2.7%届かず。何が足りなかったのか探し求めた
もっと例題を繰り返すべきだったか?いや、4つの選択肢からBest/Worstを選べばよい例題すべて、4つの順位付けまでやったぞ。
もっとYouTubeを見ておけばよかったのか?日本語訳だけじゃなくて、英語の表現にも敏感になるべきだったのか?
もっと・・・、何を?
もっとを探したら、もはやキリがなかった。試験中何も湧いてこなかったくせに、何で今さら「たられば」は湧いてくるんだ。考えたくもないと思っていた時、2.7%届かなかったことが、なにかのサインのようにも思えてきた。
そう思うと、探求したいのは、自分が足りなかったことじゃないようにも思えてくる。では、何だ?
自然体でいることの大切さに、Failしてから気がついた
ICFコア・コンピテンシーに目をやる。何度も見たはずなのに、衝撃的な一言が目に飛び込んできた。
「セッション」を「試験」に置き換えてみた。ドキッとした。
妙にりきんでいた自分、PASSしか考えていなかった自分。その場にいた自分の内側に、十分な余白、十分なスペースはあっただろうか?きっと無かった。無いことに気づきながら、あるふりをしていた。
きっと、試験室にいた私は、コーチとしての私では無かったのだと思う。ただ単に正解を追い求める受験者だったのだと思う。
もしも今回の結果が何かのサインなのだとしたら、それを気づかせてくれたことなんじゃないか。
自然体で本番に臨むとは、どんなことだろう
大事な本番、大勝負。もしもりきんでいるとしたら、それはそこに注ぐ熱量に比例しているのかもしれない。でもそのエネルギーは過剰かもしれないし、ポジティブに働くとも限らない。
自然体で本番に臨むことが、大事なんじゃないか。
そして私は、自然体とは「平常心で臨む」とも違う質感を感じる。大舞台でいつもと同じ平常心を保つというのも、けっこう大変なんだと思う。平常心を保たねばならないという「ねば」がおかしなコントロールにつながってしまうかもしれないし、きっとそれは自然体とはちょっと違うんじゃないか。
いま、どんな気持ち?無理に言葉にせずとも、色にするとどんな感じ?
いま、自分の内側で、どんなことが起きている?
私たちはよく、これを「スペースチェック」と呼ぶ。内側を素直に認識して言葉に出すこと、言葉に出すことに許可すること。これこそが今この瞬間の自然体で、大事なんじゃないか。
自分の気持ちに素直に、ニュートラルになることで、今の自然体につながること。本当は試験終わったら、我慢していたポッドキャストを我慢していたビール飲みながら聴きたいと思っていたけど、今はちょっと気持ちがまだ。いつかそんなときがきたら、我慢を解けばいいんだと思う。
大事な正念場を迎えようとしている方に、これが届くといいなと思い綴りました。そして、2週間後に再受験する自分への「痛みを覚えとけよ!」も込めて、文字にさせてもらいました。
ヘンテコな失敗から学んだこと。読んでくださってありがとうございました。
今日も佳い日で。
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「向かいたい未来へ行動するために、コーチングで伴走させてください」
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