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A列車でいこう

「ニューヨークへ行くなら、JFK空港から入らなければいけない。空港からA列車でマンハッタンへ入るのが、通のやり方だ。」

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 中学生のころに通っていた学習塾のS先生は、授業中によく本筋を脱線させては、色々な話を聞かせてくれた。冒頭の言葉もいつだかの授業の小話の一部だと記憶しているのだが、このフレーズが妙に心に残っていた。前後の文脈こそ忘れたものの、この言葉に宿るこだわり、旅情の様なものが気に入ったのだろう。授業中ながら、自分を乗せ、まだ見ぬニューヨークの街中へと滑り込む列車を妄想していた。

 それから5年ほどが経って、まさに僕はJFK——ジョン・F・ケネディ国際空港から、地下鉄A線、JFK直結のハワードビーチ駅のホームへ降り立った。19歳、始めての海外一人旅は残雪がまばらのニューヨークだった。

◆冒険

 そもそもこのNYCへの旅も、S先生の親戚筋を頼ってのことだった。宿の心配がなかったため、電話で予約した航空券にほんの少しのお金を握りしめての旅行。日中はマンハッタンの半島を縦横無尽に歩き回っていた。ろくに言葉など話せず、視界に入ったものをひたすら写真に撮っていた記憶がある。

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 世界に名だたる名店、グランドセントラル駅のオイスターバーではじめて食べた牡蠣は、味など感じる余裕もなく、添えてあるケチャップの用途がわからない。地下鉄は理不尽に運休になり、やれやれといった様子で話しかけてくるニューヨーカーが何を言っているのかわからない。フリーマーケットでは、対して欲しくもないレザーのジャケットを$15-で半ば強引に買わされる。今思い出しても歯がゆいほどに旅が下手である。やたらと体の大きい彼らからすると、どうも僕はいいとこ14-5歳に見えていたようだ。3月とは言え空気は刺すように冷たく、お金も乏しく、全てが巨大で煌びやかな街にただただ圧倒されたが、それは同時にひとつひとつが冒険であった。

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◆Cafe Wha

 中でも最も思い出深い冒険がある。

 今回の旅にあたっては、S先生からひとつのルールを定められた。

 「自分の興味に関わることをひとつ、体験してくること。」

 これまでもS先生によってNYCに送り込まれた生徒たちが課されたミッションである。バスケが好きな男子はNBA観戦、ダンスを習う女子生徒はバレエ教室の見学などを体験して来た。並べると、僕が掲げた“ライブハウスで音楽を聴く”が、いささか不真面目に見えなくもない。

 アメリカでは、酒類を提供する店舗への未成年(21歳未満)立ち入りが厳しく規制されており、19歳でも入店できるライブハウスなどかなり限られている。なんとかネットで情報を調べ、未成年でも入店出来る店舗のあたりをいくつかつけた。赴いたのはワシントンスクエアにほど近い『Café Wha』というライブハウスだ。

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 薄暗い階段を降り、IDチェックをパスすると、まだ時間も早いため店内に人はまばらだった。天井が低い店内はライブハウスというよりもステージのあるレストランと言ったかたちで、ステージ目の前のテーブルもまだ誰も座っていない。ここまで来るともう怖いもの知らず、ボーカルのマイクが触れそうな距離の席に腰を下ろし、コーラとハンバーガーを注文した。

 ほどなくして座席は全て埋まり、開演前にも関わらず会場は熱気に満ちていた。目の前には向かい合うかたちで体の大きな黒人男性と、ブロンドの美人のカップルが座っている。一等席にアジア人の少年が1人、英語もろくに話せず気味悪がられてはいないだろうか、満席の会場にあって、よりによってこんなにも目立つ席に陣取ってしまったことを後悔していたことは言うまでもない。開演前にもかかわらず、ポテトのかすまで食べ尽くし、溶けた氷を飲み尽くしてもなお喉が渇いていた。

 いっそ帰ってしまおうかと思った矢先、いよいよ6〜7人のメンバー達が現れ、大歓声の中でステージに迎えられた。一瞬にして、彼らの奏でる音楽が会場を興奮に包んだ。鳴り響く楽器に負けずに強いハスキーボイスで歌う女性ボーカルが場内を魅了する。彼女からすれば、目の前にちょこんと座るお子様は格好の餌食だったのだろうか、体をくねらせ僕の背をなでると、一斉に、僕へと注目が集まった。どうしていいのかもわからず、恥ずかしさから俯く自分が甚だ哀れに思えた。

 それでも、僕もまた、段々と彼らの音楽に魅了されていく。ステージを目の前に、楽器の音はアンプから直に聞こえてくる。僕のすぐ横では、観客がリズムに合わせて自由に踊る。緊張に、高まる興奮が合わさり、演奏も半ばまでくると、えも言われぬ幸福感を覚えはじめていた。そんな頃である、ギタリストがマイクを奪い、“最後の曲だ”と告げた。言うが早いかはじいたイントロのギターは、中学生の頃からカセットテープでなんども聞いてきた音だった。

 Tears for Fears-Everybody Wants To Rule the World。部屋のカセットコンポから、イヤホンからいったい何度聴いた曲だろう。この曲は知っている!この美しい歌詞は何度も口ずさんできた。ボーカルに合わせて必至で歌いながら、ここにきてようやく、初めて会場と一体感を覚えた。見上げたギタリストは正面を見据えひたすらに歌う。
この街ではいつもと変わらぬ夜に違いなくても、大げさでなく、この日この場所に足を運び、緊張に負けずに会場に居続け、大好きな音楽をきけたことが奇跡だと思えた。

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 ◆A列車で行こう

 演奏が終わり、興奮冷めやらぬまま席を立つ。余韻を胸に会場を出ようとしたところで、入口の近くでボトルを傾けるメンバーを見つけた。一瞬迷いこそすれ、この奇跡を逃すまいと勇気を振り絞り声をかけた。緊張で俯いてしまっていたがとても楽しめたこと。演奏曲が大好きなものであったことと、この日を忘れないということを拙い英語でなんとか伝えようとした。彼は優しい笑顔でうなずき、力強いハグで応えてくれた。

 「ニューヨークは、自身の常識が通用しない、何もかも規格外の都市だ。そこに行けば何かが有り、何かを見つけられる。」

 そんなS先生の言葉を、これからも決して忘れることはない。海外に興味を持ち、留学を経て、いまでは国際教育に携わる立場にあるのは、いま思えばこの旅がきっかけだった。S先生に与えてもらったきっかけを、今度は自分が誰かに与えることが出来たら、自分が見つけたものを、きっかけとして人に与えられることが出来たら、それほどの喜びはないだろう。

 そして、その時はきっとこう言おう。

 「ニューヨークへ行くなら、JFK空港から入らなければいけない。空港からA列車でマンハッタンへ入るのが、通のやり方だ。」

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