わたし。のこと

今日は、わたしのおはなしをしたいと思います。

”スーパーポジティブ” なんて言われることも少なくない30歳になったわたしですが、実は数年前までは超ネガティブ人間でした!

自己肯定感?

低いなんてもんじゃないくらい、地の果てレベルで自己肯定感低め人間でした。

”プラス思考” や ”ポジティブ” なんていうワードは、わたしの中には一切ありませんでした。

なので、キラキラしている人や、いつも楽しそうにしている人を見ては羨ましいと思っていました。

わたしが変われるなんていう概念もなくて、とにかく自分の存在を否定して生きてきたんです。

最初に自分の存在を否定するようになったのは、小学4年生の時。

1年生のときに、姉が入っているからという理由で親に強制的にバスケ部に入れられました。

始めは、準備体操でブリッジが出来なくて泣いていたわたしでしたが、自然と楽しく練習に取り組めるようになりました。

1年生からバスケをする人はいなかったので、学年が上がるにつれて、ちびっ子の中では1番上手だと自信を持っていたのかもしれません。

小学4年生の時、スタメンとまではいきませんでしたが、上級生に混ざって試合に出してもらえるまでになりました。

その頃は本当にピークで、どんな場所でも、どんな状況でも、打てばシュートが決まっていたんです。

そんなわたしのことを、コーチをしていた父も家で褒めてくれました。

多分、わたし自身、調子に乗っていたと思います。

そんな幸せな日々が、徐々に崩れていきます。

小学4年生のある時、同級生の女の子Aちゃんが入部してきました。

それまで同級生は1人もいなかったので、わたしはとても嬉しかったです。

Aちゃんには、バスケ部の2人のお兄ちゃんがいました。

休みの日には、よくお兄ちゃんの試合を観に行っていたそうです。

入部後、Aちゃんはとても上達するのが早く、一瞬でわたしは抜かれてしまいました。

身長も同じ位くらいだったこともあり、わたしのポジションは、その子に取られてしまいました。

それまで上手くいっていたはずのものが、たった一つのことがきっかけで全て上手くいかなくなる。

初めての挫折でした。

それからは、比べられる日々が続きました。

Aちゃんは、いつも試合を観に行ってるから上手。

Aちゃんなら、すぐに出来るのに。

部活が終わったあとも、コーチだった父と帰る車の中でもバスケの話。

家に帰ってもバスケの話。

本当にバスケが嫌いになり、比べられることで自信もなくなり、シュートも全く入らなくなりました。

毎日、家で100本入るまで終われないシューティングも、薄暗い中で1人で恐怖と耐えながら、モチベーションも上がらず行っていました。

コーチの娘なのにAちゃんより上手じゃないと思われているんじゃないかという勝手なプレッシャーに押しつぶされていました。

その頃から、自分の存在を否定するようになりました。

たったそんなことで?と思われるかも知れません。

でも、無駄に想像力が豊かだったので、いつも被害妄想を膨らませては自分のことを否定していました。

そこからしばらくして、12歳の時。

母が実は、4回妊娠中絶していたということを姉から聞かされました。

本当は8人きょうだいだったから、こんなにも年が離れているんだよ!と。

とにかく自分の存在を否定していたわたしのとって、その事実は衝撃で、その瞬間「わたしが生まれたのは間違いだったんだ」と思いました。

本当は、別の子が生まれてくるはずだったのに、母は間違えてわたしを生んでしまったんだ。と。

生まれてきてごめんなさい。

12歳にして、毎日そう思って過ごしていました。

小学6年生で仲良かった女の子Bちゃんがいました。

Bちゃんは、少しヤンチャなタイプで、学校も時々サボっていました。

その子とは、幼い頃から仲が良かったのですが、6年生で久しぶりに同じクラスになったことで再び仲良くなりました。

始めは優しくて、一緒にいるのも楽しくて、他の子に取られたくないなんて思うこともありました。

ですが、ある時から、気に入らないことがあると絶交されるようになりました。

突然、予告もなく、避けられるんです。

そんなことが何回か起こると、人間って自然と顔色をうかがうようになるんですね。

とにかく、その子を怒らせないような行動や発言を心がけるんです。

中学にあがるとき、わたしは初詣で神様にお願いしました。

どうか、Bちゃんと同じクラスにしないでください。と。

その願いも虚しく、中学1年生で、また同じクラスになりました。

わたしは、Bちゃんと2人でいたので、Bちゃんが学校を休むと移動教室は1人になるんです。

いま思えば、移動教室くらい1人で行くなんて全然平気なはずなのに、その頃は1人でいる=寂しい人だと思われる気がして怖かったんです。

Bちゃんが学校を休む日が増え、わたしは別のグループに入れてもらったりもしていました。

ある時、そのグループの1人に言われました。

Bちゃんが休みの時だけ、こっちのグループに来るよね。

そのとおりです。

でも、1人が怖かったんです。

その子が学校を休むと、1人になる。

その子が学校に来ると、キレられるかもしれない。

どちらにしても、苦しい日々でした。

親にも言えず、姉にも言えず、ただただ来年こそは別のクラスになることだけを信じて毎日を過ごしていました。

その願いも虚しく、中学2年生でも同じクラスになりました。

絶望でした。

わたしの中学校生活は終わったと思いました。

きっとBちゃんは、わたしがそんな風に思っているなんて知りません。

どうして神様は、わたしにいじわるするんだろう?

ある日の夜中、ふと目が覚めると1通のメールが届いていました。

わたしもBちゃんもケータイを持っていたので、メールのやりとりをしていました。

たまたま夜中、目が覚めたのでメールを見てみると、そこにはBちゃんからの絶交のお告げメールが届いていました。

わたしの帰り際の態度がムカついたから、明日から話しかけないでね。とのこと。

手紙は1日3通まで。メールも1日3通まで。

数少ないやり取りの中で、わたしはとりあえず何が気に食わなかったのかだけ聞きました。

放課後、部活組のわたしと、帰宅部のBちゃんは靴箱までは一緒に帰るのが日課でした。

その日は、美術の課題が終わっていなかったので、放課後に少し残って帰ろうと思っていました。

なので靴箱まで一緒に行けないということを伝えなくてはと思っていたのですが、怒らせてはいけないという恐怖から、声が小さくなってしまい、恐る恐る伝えました。

その言い方が気に入らなかったようで、残って作業するならはっきり言えばいいじゃん!と、手紙で言われました。

確かに、はっきり言わなかったわたしも悪かったかも知れないけれど、絶交までされなければいけない内容だったのだろうか?

そんなこと考える余裕のない14歳のわたしは、とにかく許してもらうにはどうしたらいいかばかり考えていました。

結局3日後くらいには、Bちゃんの気が済んだのか、突然何事もなかったかのように話しかけられるんです。

わたしは恐る恐る「喋っていいの?」と聞くと、満面の笑みで「うん!」と言われました。

何度かあったそのやり取り。

そんな14歳のある時、あるプチトラブルがあり、Bちゃんから超ロングお怒りメールが届くんです。

夕方、自宅に帰ってケータイを見ると、メールの通知が。

見てみると、Bちゃんからでした。

当時ガラケーだったので、何度スクロールしたか分からないほどの長文でした。

内容は、とにかくわたしに対する暴言でした。

わたしはただ、その文字を見て放心状態になっていました。

そんなわたしの様子がおかしいと気付いたのは長女でした。

長女は、すでに社会人になっていたこともあり、わたしは勇気を出して相談しました。

すぐにわたしの気持ちを理解してくれて、「Bちゃんのことが怖いから、一緒にいるんでしょ?」「無理して一緒にいる必要はないよ!」と言ってくれました。

その次の日から、わたしは別の友だちと一緒に学校生活を過ごさせてもらうようにしました。

Bちゃんは、次第に学校に来る日が少なくなりました。

ある日の朝の読書タイムの時間、わたしは担任の先生に呼び出されました。

Bちゃんを許してやってほしい。

そう言われました。

あんなに暴言を吐かれて、これからどう仲良くしていったらいいのかも分からず、また苦しい日々が戻るのかという恐怖もあり、わたしは断りました。

家にも電話がかかってくるようになりました。

Bちゃんのおばあちゃんからでした。

Bちゃんを許してやってほしい。

そう涙声で言われました。

わたしは何も言えず、ただ黙っていると、母が電話を代わってくれました。

わたしが悪者なのだろうか?

やっぱり許すべきなのだろうか?

毎日、毎日、自問自答。

それでもやはり、傷つくのが怖くて、許すことは出来ませんでした。

3年生になり、Bちゃんとは別のクラスになりました。

Bちゃんは、さらに学校に来る日が少なくなりました。

高校受験の日も、Bちゃんは志願している学校に行かなかったそうです。

わたしがBちゃんの人生を壊してしまったのだろうか?

そんな風に思うようになりました。

わたしが我慢すれば、Bちゃんは高校にもちゃんと行っていたかもしれない。

ごめんなさい、こんなわたしで。

中学校生活は、とにかく何をやってもネガティブ思考でした。

部活も相変わらずバスケを好きにはなれず。

顧問の先生からも、「おまえはポジションがない」と言われました。

どういうつもりで行ったのか分かりませんが、当時のわたしのスーパーネガティブだったので、「おまえは当てはまるポジションがないから必要ない」と解釈していました。

どこにも必要とされていないんだ。

生まれてきてごめんなさい。

そんな風に思っていました。

次回は、高校生時代のわたしについて、ご紹介していきます。

高校に入学したら変わるんだ!と意気込んでいましたが、高校時代が1番、暗黒期だったかもしれません。

入学直後に、どん底に落ちてしまったところからスタートしたいと思います!

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