学校教育はままならぬ
学校教育はままならぬ。
そう思う要因は色々とあるのだけど、今回は「子どもと保護者」という視点に絞って、1つずつ記述したいと思う。
先に予防線を貼っておくと、「子どもや保護者を思い通りにしたい」という考えは全くないので悪しからず。
じゃあ、なんでままならぬって言葉を使うかって?
語感がいいから……?
1.子どもはままならぬ
子どもはままならぬ。
もちろん、子どもは思い通りにならない。
だからこそままならぬ。
教育の難しいところは、正解が無いところだ。
概ね正解とされる理論は存在しても、それがいつでも正解となるわけではない。
そのため、一方では正しいとされる理論が、他方では間違っているとされる事も散見される。
私がすぐに思い付く実例は、「めあてとまとめ」だ。
「めあて」「まとめ」は、学習の見通しを持たせる事や、その時間に学習した事を再確認し、定着させるため等に行われる。
他方で、そんな事を書かせる事には意味がない、その分話し合いや演習に時間を使った方がいいという意見がある。
どちらにも頷けるがあると思うのだが、これが結構対立してて、双方が双方を非難するみたいな事も散見される(これ教員の悪いとこ)。
なんていうか、教育って「エビデンス」を確定させるのが難しいと思うんよね。
だって、対人間って科学じゃなくない?
こういった手立てを立てれば → このような結果となる
という反応が確定できないため、何が本当に効果的で、何が効果的でないのかを検証し辛い。
体罰 → 心身にダメージを与える
みたいな自明な事ばかりではないのだ。
それが教育の面白いところかもしれないが、だからこそ子どもの教育は難しい。
これは、学校教育に限った話じゃないけどね。
2.保護者はままならぬ
もちろん大人も思い通りにはならない。
そもそも学校ってかなり特殊で、
・ほぼ全ての人が、児童生徒として通学した経験がある
・一定数、教員(学校)に嫌な思いをした人がいる
・「嫌なら利用しない、他の店舗を利用する」という選択が取り辛い。
・業務の境界が曖昧で、必ずしも教師が担う必要がない、基本的には教師以外が担うべき業務も、学校が担っている場合が多い
・教員は社会的な地位が著しく低く、教員や学校は(しばしば、お前達も理不尽だろうという理論で)理不尽を押し付けられる、押し付けてもいいと思われている
・社会的地位が著しく低いので、理不尽な要求を数多押し付けられる対してストライキをする事ができない
・そして不当なクレームに正当に反論する事も許されない事が多い
・実際にヤバい教員や管理職、教育委員会も存在する
等々、特殊性を挙げだせばキリがない。
(残業代が出ない事を除いて)1番大きいのは、教員の社会的地位が著しく低いところかなー。
本当に、学校には何を言ってもいいと思ってる人がいる。
もちろん、正当なご意見もある。
だけど、「それ企業とか他の公的機関で言うてたら確実クレーマーやで……」みたいな事もある。
ここら辺がほんま難しい。
先述した通り、ヤバい教師も中には居る。
数値として、犯罪率は低いけど、性犯罪率が高いというデータが出てしまっている。
これは恥ずかしいし、そんな奴は絶対に教職に携わってはいけない。
教師もミスをする。
ミスをしたら、お叱りを受けるのも仕方がない。
だけど、お叱りを受けるミスの基準が、昔よりもかなり低くなっている気がする。
そんな事でお叱り受けなきゃいけない?
みたいな。
結局、学校が力を失いすぎたんだろう。
教師や管理職が、「それは○○という理由があっての指導です」とか、「それは違いますよ」という事を言えなくなってしまった。
基本的に、保護者が「おかしい」と感じて、怒りのテンションで学校に接触してきたら、学校は謝罪をせざるをえなくなってしまった。
クレーム対応の基本は、
「嫌な思いをさせてしまった事は謝罪する。クレーム内容が正当でない場合は、内容については謝罪しない。」
である。しかし、学校においては、
「嫌な思いをさせてしまった事は謝罪する。内容が正当でなくても、保護者が納得しなければ謝罪をする。」
のが正解となってしまっている。
今や、学校がブラックである事は知れ渡り、年々志願者や採用試験の倍率は下がってきている。
学校教育は近いうちに崩壊する、という言説もあながち間違いとは言えなくなってきている。
学校側にも変わらなければいけないところがあるが、待遇をどうにかしないと、本当に学校教育が崩壊する日もそう遠くないと思われる。
定額働かせ放題何とかしておくれ……。