「オシャレすることが平和の象徴」とするサプール文化がなぜ生まれた?④
昨今、X(旧Twitter)なのでSNSを中心にして『切り抜き記事』や『偏った内容の記事』を精査することもなく、罵詈雑言・誹謗中傷が飛び交っていて現状を貴方はどう思いますか?
日本においてサプール人気を貶す一部の大人たちは
コンゴ民主共和国の歴史や「闇」を知ることもせず
「なぜ、サプール文化が生まれたのか?」という背景を知ることもせず
「わずかな給料で高級スーツを買うなんて家族思いでない」
「贅沢でしかない趣味はやめるべき」
とサプール文化に対して誹謗中傷を繰り返し、サプール・スタイルを真似る人々に罵詈雑言を浴びせました。
1979 年:パパ・ ウェンバは、サプール の非公式リーダーになりました。
パパ・ウェンバは次のように語ります。
ウェンバの死後、カメルーンのサックス奏者マヌ・ディバンゴ(Manu Dibango)は、BBCのインタビューで次のように語りました。
ここまで3回に渡って、コンゴ民主共和国の歴史を簡単に触れてきましたが、過酷で厳しい状況だったことが、少しは伝わったでしょうか?
第二次コンゴ戦争後もコンゴ民主共和国は混迷を続けます。
2001年1月16日
ローレンス・カビラ大統領がキンシャサの大統領官邸で暗殺されました。
護衛の一員であったラシディ・カセレカがカビラに向けて発砲し、彼も他の護衛によって射殺されました。
息子のジョゼフ・カビラが後を継ぎ、戦争を終結させるための和平交渉を開始します。
2002年 プレトリア包括和平合意
2003年 暫定政権成立(内戦終結)
2005年 憲法草案に対する国民投票
2006年 新憲法公布、大統領選挙、国民議会選挙
2006年 新憲法公布、大統領選挙、国民議会選挙
ジョゼフ・カビラ大統領の統治期間(2001年から2018年)は、安定の追求と一部の経済改革が進展した一方で、権威主義的な傾向、人権侵害、腐敗、そして国家の統治能力の不足が特徴的でした。
東部のコンゴ地方では、政府の統制が不十分であり、多数の武装集団が活動し、一部の地域では依然として紛争が続いていました。
これらの地域では、人道上の危機、大量の内部避難民、そして性暴力などの深刻な人権侵害が報告されていました。
2018年 大統領選挙、国民議会選挙、州議会議員選挙実施
2018年の選挙は、コンゴ民主共和国で初めて平和的な権力移議が行われたものとして歴史的な意義を持ちます。
カビラ大統領は憲法上の制限から三選を断念し、後継者としてエマニュエル・ラマザニ・シャダリを指名しました。
しかし、選挙は野党候補のフェリックス・チセケディが勝利して政権交代が行われました。
2019年1月:フェリックス・チセケディが大統領に就任
しかし、その選挙結果は一部で異議が申し立てられ、特にカビラ政権との間で密約が結ばれていたという疑念が投げかけられ、チセケディ政権初期の統治は政治的な緊張や対立に悩まされることとなります。
サプールとは?
「SAPE(サップ)」
フランス語の「Société des Ambianceurs et des Personnes Élégantes」の頭文字をとって名付けられた造語です。
直訳すると「雰囲気作りと優雅な人々の協会」または「雰囲気作りと洗練された人々の協会」という意味になります。
ここでの"Ambianceurs"は直訳すると「雰囲気作り」となりますが、より具体的には、パーティーや集まりにおいて楽しい雰囲気を作り出す人々を指します。
また、"Personnes élégantes"は文字通りに「洗練された人々」または「優雅な人々」を指します。
「SAPEUR(サプール)」は、「SAPE」の信奉者や追随者を指す言葉です。サプールというスタイルは、コンゴ出身の人々の間で特に人気があり、非常に独特で洗練されたドレスコードを持つ文化です。
サプールの信者たちは、服装や装飾において、エレガンスと個性を最優先し、そのスタイルは明るく、色鮮やかで、そして洗練されています。
SAPEURの6つのルール
(引用:「WHAT IS SAPEUR?貧しくも世界一エレガントなコンゴの男たち」)
上質な服をエレガントに着こなす
色彩感覚を磨き、色のハーモニーを奏でる
武器は持たない。軍靴を履く代わりに平和のステップを刻む
気取って歩き人を魅了する
他人を認め、他人を尊重し、他人に敬意を払う
個性を大事に、誇り高く生きる
サプールは、ただ服を格好よく着こなすだけではダメで、人々を魅了してこそサプールです。
偉大なサプールになるには、ファッションに対する知識や“ディアタンス”と呼ばれるステップなどの技術、そしてプレゼンテーション能力が伴わないといけないのです。