【物語2】女性研究者の集い
母になって15年目の春の終わり、詩子は初めてジェンダーに関する集まりに参加した。彼女がこうした会合等に参加してこなかった最大の理由は、時間がないことであった。そんな集会に行くぐらいなら、娘と時間を過ごしたいと思ってきた。娘はいつも独りぼっちだったから。
参加してこなかったのには、もう一つ小さな理由があった。詩子はジェンダーの集まりがどことなく怖かった。当時はうまく言葉にできなかったけれど、後に考えれば、参加しても孤立してしまうことを直感的に知っていたのだろう。シングルマザーの院生なんて、とてもレアケースだから。
詩子の大学には、男女共同参画を推進する部署がある。あの日、なぜこの部署主催の女性研究者の会合に参加したのかと言えば、新しく着任した総長と話ができると書いてあったからだ。院生の詩子にとっては、滅多にない機会だった。当時、詩子は時給750円で働いていたが、財布から4000円を出してその立食会に参加した。
ところで、ジェンダー関連のパンフレットには必ず、成功した女性のキラキラした話が載っている。この集まりでもやはり、キラキラした女性たちがこれまでの「苦労」と輝かしい業績を声高らかに発表し合っていた。パンフレットで成功談を読んだ時と同じように、詩子は胸を抉られた。なぜなら、彼女たちの成功は、常に理解し支えてくれる家族とお金とによって実現しているからである。だが、彼女たちは自らの成功を自らの努力にあると信じて疑わない。無論、詩子も彼女たちの努力には敬意を持っている。だが、研究者として成功しなかった女性が努力不足かと言えば、そうではないだろう。ドロップアウトした女性研究者たちだって、いまや教授となりキラキラと輝いている女性研究者たちと同じように死に物狂いで努力したはずだ。それなのに...。
それなのに、成功者のキラキラした体験談を聞いていると、研究成果を出せなかった自分がまるで「努力が足りない」と言われているような気分になり、同時に成功者の配偶者や家族の協力、その経済力をただただ羨ましく思った。悔しさがこみ上げた。それは誰にも向けられない怒りだったのかもしれない。
追い打ちをかけるように、女性教授の夫という男性が登壇し、どれほど家事や育児をして妻を支えているのかについて、滾々と語った。詩子は居た堪れなくなって、食事もせずに会場を後にした。建物を出ると涙が出てきた。それはきっと4000円払っても何も食べられなかったからではない。
女性が研究しやすい環境を目指しているのなら、どうしてドロップアウトするしかなかった、夢を諦めざるを得なかった女性たちの声を届けようとしないのだろう?そこに女性が研究者として生きていく苦しみの原因があるはずなのに。女性研究者を助けるのは、その夫でも実家でもお金でもなく、制度であるべきなのに。
こうして詩子は女性研究者の中にいても、やはりいつでも孤独だった。
ちなみに、その立食会で総長は一歩も動くことなく、2時間半の間ずっと、講演者のキラキラした女性教授陣と話をしていたらしい。詩子が最後まで踏ん張って参加したとしても、もっと傷つく言葉を聞かされることはあっても、総長に、子持ちで、夫も家族も金もない院生が研究していることを伝えることは能わなかっただろう。
この会合以降、詩子は一度もジェンダー関連の企画に参加したことはない。
附.
筆者は、詩子のような女性はきっと他にもいると信じている。本当に苦しい時には声を上げることさえできない。声を出す体力さえ、生きることに費やしてしまったから。彼女たちの苦しみを知ったのなら、ただ傍観するのではなく、我々が声を上げなければならない。彼女たちの苦しさが、恵まれた女性の無邪気な発信によって踏みつぶされないように。このままでは、家族や資産といった個人の「幸運」でしか女性は救われない。国や社会が制度を以て弱者を救えるようになるまで、筆者は声を上げるつもりだ。