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過去の自分と対話する。

気付けば、前回投稿してから2年4か月が経過していた。その間、私は何をしていたのだろうか?。ちょいと振り返ってみようとnoteに向かう。

過去の自分の投稿が目に留まり、そっか、何年も前からそんなこと考えていたのか、とハッとした。10か月のベトナム滞在中に出会った、日本人の留学生とのやり取りを綴ったもの。

小さな日常に目を向けることが、とても大事なんじゃないかと、この半年くらいで強烈に思っていたのだけれど、なんだ、2018年1月から、そんなこと思ってたんだな、わたし、と驚いた。ただ、その当時、自分自身が実践できていたかというとかなり怪しい・・・。自分がなぜそこにいるのか、どこに向かうのか、ただひたすらに藻掻いていた。些細な日常に丁寧に向き合うことなぞ、全然、出来てなかった。些細な日常に丁寧に向き合うことの大切さそのものに、全く気付いていなかった、とも言える。(だけど、留学生に対しては、偉そうにwコメントできる不思議・・・)

2016年夏から2年間、会社を休職し、ポーランドとベトナムで、ボランティアの日本語教師生活を送っていた。最終的には自ら望んで一歩を踏み出してみたものの、そこに至った経緯を思い出すと中々ネガティブな感情から抜け出せず、自己肯定感が著しく低い毎日。貯金を食いつぶし、何やってんだか?とモヤモヤから抜け出せない日も多かった。(いや、それでも、楽しいことだっていっぱいあった。)

いま振り返ると、言葉も文化も違う異国での生活を逞しく乗り切り、初めての日本語クラスを運営し、公私ともにチャレンジの連続。もっともっと、自己肯定感爆上がりでも良かったのでは?と思ったりもする。

ポーランドの大学で、守衛のオジサンとポーランド語で挨拶をしていた。
「Dziękuję = ありがとう」「Dobranoc = おやすみなさい」「Do widzenia = さようなら」
ごくごく簡単な単語しか使っていなかったけれど、よくやったよね私、と、花丸をつけたい気分でいっぱい。

ベトナムでは、大学の先生とは日本語でやり取りできたけれど、街中に出ると英語も通じず、超カタコトのベトナム語を駆使するしかない。タクシーに乗ったら、「đi (行く)+ 場所」を告げてなんとかしていた。部屋にネズミが出たら、そのことを寮のオジサンに必死でベトナム語で伝え、駆除してもらった。サバイバル過ぎて、もはや、何をどうしていたのか思い出せないけれど、いやはや、よくやったよね、私。

会社を休んで、2年間で何を得たのか?そう聞かれると、ドキッとする。「何か大きな成果を言わなければならない」という見えないプレッシャー。確かに、カッコイイ何かを言語化できたら良いのかもしれないけれど、言語化しないと他者には伝わらないのだけれど、そこで過ごした2年間は確かにあって、体感したものは決して消えることなく身体の奥底に刻み込まれている。全くの異国で、なんだかよくわからないけれど、2年間も無給で1人で暮らしていけたことそのものが、大きな成果の一つとも言える。異国での生活に憧れはなかったし、特別に好きでもないのだけれど、なぜだか出来てしまう不思議。ある種の特技のようなものだと思っている。これぞ、強みと言えるのか。

「成果は何か?」と問われると、ついつい大きな成果に目を向けがちだけれど、毎日の小さな小さな積み重ねが、結果として大きな変化に繋がっていく。ジワジワと前に進んでいくこと、それを大事にしていきたいな、とあらためて。

そして、小さな積み重ねと捉えてしまう出来事が、実は、大きな成果とも言えるかもしれない。過小評価は禁物。その1歩をとにかく大事にする。1歩をしっかり認識できることを大切にする。認識したあとは、誉めて誉めて誉めまくる。

Try and Share。
トライ&エラーって言葉にシックリこなくて、いつだったかのお正月にFBの投稿で宣言したフレーズ。
小さくトライして、シェアする。
シェアする過程において、何が起きたのか、何を得たのかを振り返ることになる。フィードバックが自ずと起きる。自己の対話が深まる。シェアすることで、もしも誰かの心に留まったら、そこで新たな対話も始まるかもしれない。

今回、私は2018年1月の私の投稿と対話することになった。
過去のわたしよ、ありがとう。


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