母国語以外の言語を学ぶということ
私自身、語学習得に興味が全くない人生を送ってきていて、「積極的に語学を学ぶ」という気持ちを、学習者の立場として考えることが殆ど出来ない状態。。。受験に必要だから英語をソコソコにやり、会社で必要だからなんとなく勉強し、TOEICのスコアはそれなりの点数が取れたらそれ以上を目指すこともなく。。。
海外で1人で行動する程度には困らない英語力はあるが、ただただ知ってる単語を並べてコミュニケーションを取っているに過ぎない。英語で本を読もうと思ったこともないし、映画を字幕なしで読みたい!!!という欲求にかられたこともなく、まぁ、勉強になるのなら、、、と、たまに英語で本を読んでみたり、字幕なしで映画を見てみたり。
敢えて言うならば、私にとっては、英語で"生のやりとり"をするのが目的で、そのスキルアップの為に、本や映画が手段として存在するということか。"生のやりとり"ってのが、まさに通じれば良い、の世界。相手と意思疎通が図れて、「やりたいこと」が実現できればそれで良いのである。
フォーマルな表現を学ばなければ「やりたいこと」が出来ないのであれば、より正しい英語を身に付ける必要があるだろうし、込み入った話がしたければ、より多くの語彙を学ぶ必要があるだろう。難しい本を読むためには、これまた、様々な表現が必要だ。きっと、自分が必要だ!と思ったときには、ヤル気をもって、取り組むのだろう。。。(たぶん)
さて、、、、、言語を学ぶ人の中には、"言語の構造を知ること"そのものが楽しい、という人もいるらしいのだけれど、そーいった方は、言語を学ぶこと、が目的となっていて、それはそれで良し。
一方で、"なんらかの目的"があって、言語を手段として学習する場合、どんなプロセスを経ると"なんらかの目的"に最短で近づくことが出来るのだろうか。。。
これ、そのあやふやな"なんらかの目的"を明確にしない限り、前進しない気もするのだけれど、、、、、、、あれこれ、紐解きながら、考えていきたいと思っているのである。(´・ω・`)
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