【歴史概要37】アパルトヘイト・アンゴラ内戦・ソマリア情勢
①ナミビアは帝国主義下ではドイツの植民地でありドイツ領西アフリカであった。第1次世界大戦後に国際連盟は南アフリカ連邦に委任統治を認めた。
②第2次世界大戦後は国際連盟がなくなったので南アフリカ連邦が実質占領をする事になった。1960年に国際連合は南アフリカ連邦の委任統治終了を通告した。
③南アフリカ連邦はこれに従わず南アフリカ政府はこの地域にもアパルトヘイト(人種隔離政策)を行っていく。
④南アフリカの支配に対して南西アフリカ人民機構(SWAPO)が結成され武力解放闘争を開始した。1968年には国名をナミビアとした。南アフリカ政府はナミビア国内の親南アフリカ勢力と組んで支配の継続をはかった。
⑤ナミビア北部でアンゴラ内戦が勃発した。
アンゴラとモザンビークはポルトガルの植民地であり双方とも独立戦争が続いていた。1974年にポルトガル国内でカーネーション革命が起きた影響もあり1975年にはアンゴラ、モザンビークともに独立をした。
⑥続いてアンゴラで米ソの代理戦争というべき内乱が起きた。
アメリカや南アフリカが支援するアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)とソ連が支援するアンゴラ解放人民運動(MPLA)、ザイールとフランスが支援するアンゴラ民族解放戦線(FNLA)の三つ巴の戦いが起こった。
⑦キューバ軍のMPLA支援が国際的に問題となる。
米ソの話し合いが続けられ1988年に南アフリカが支配するナミビアの独立とアンゴラからのキューバ兵の撤退を関連させることで和平の道が開かれた。
⑧1990年にナミビアは独立した。以後アンゴラはダイヤモンドや石油の輸出国として繁栄したが経済的腐敗や地雷問題、政府に反対する地域など新問題がでてきている。
⑨アフリカの角といわれる大陸東端のソマリア近辺では海賊が出没する。帝国主義下では南からイタリア領ソマリランド、イギリス領ソマリランド、フランス領ジブチ、イタリア領エリトリアが並んでいた。
⑩第2次世界大戦後にはエリトリアをエチオピアが併合し1993年に独立した。ジブチは1967年に国民投票でフランス領に留まり1977年に独立した。イギリス領とイタリア領のソマリランドは1960年に独立した。
⑪1977年にソマリアはエチオピアのオガデン地方を要求して戦争が勃発した。エチオピアをソ連がサポートし、ソマリアをアメリカと中国がサポートした。
ソマリアはこれに敗北して政権が混乱した。
⑫そしてかつてのイギリス領ソマリランドがソマリランド共和国として独立を宣言したが国際承認はされていない。旧イタリア領ソマリランド北部にあるプントランドと呼ばれる地域がありソマリアからの分離の動きが見られている事などを学びました。
■参考文献
『ライバル国からよむ世界史』 関 眞興 日本経済新聞出版社
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