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【歴史概要66】北海帝国・ヘースティングズの戦い・ノルマンコンクエスト

①ユトランド半島を中心に居住していたデーン人は10世紀半ばハーラル1世の下でキリスト教を受容した。神聖ローマ帝国の保護を受けて支配領域を拡大していった。

②ハーラル1世の孫であるカヌート(クヌーズ)は父親のスヴェン1世とともにイングランド侵攻を行った。スヴェンの死後1016年にイングランドの封建諸侯の推戴でイングランド王となった。

③兄が亡くなり1018年にはカヌートはデンマーク王となった。ノルウェーやスウェーデンにも侵攻して1028年にはノルウェー王にも即位した。結果北海を中心としてイングランド・デンマーク・ノルウェー・スウェーデンやスコットランドの一部を支配した。

これが北海帝国である。

④カヌート王が亡くなると北海帝国は瓦解していった。カヌート王の死後にイングランドでは息子のハーレルに続いてハーディカヌートが王位を継承した。

⑤ハーディカヌートには子どもがいなかったのでノルマンジーから異父兄弟のエドワードを呼び共同統治をした。ハーディカヌートの死後にエドワードが単独で王位継承したがエドワードにも子どもがいなかった。

⑦エドワードの義弟でウェセックスの有力者エドウィン家のハロルドが王位継承者となった。

⑧1066年にエドワードが亡くなるとハロルドが正式に王位に就いたがノルマンジー公のギョームはエドワードから王位継承を約束されていたという口実で王位を要求した。

⑨ノルウェー王のハーラルも継承権を要求してイングランド北東のヨークに侵攻したがハロルドに討伐された。ノルマンジー公のギョームはこの隙をついてイングランド南部に上陸した。

⑩ハロルドは南下してヘースティングズで戦ったがギョームが勝利してウィリアムとしてイングランド王として君臨する事になった。

⑪フランス国内ではカペー家やアンジュー伯が内部に問題を抱えておりノルマンジー公の行動に介入する事ができなかった。

⑫イングランドではノルマン朝が成立した。結果としてフランスの一諸侯でありカペー朝の臣下であるノルマンジー公がイングランドの国王となった。フランスにイングランド王の所領が存在するという変則的な関係が形成される事となった。

⑬これが後に行われる百年戦争まで続く対立の種となる。ロロ以来のノルマンジー公領はプランタジネット朝のジョン王の時代にフランスが併合した。その後はアンジュー家が絡みフランスとイギリスの関係はより複雑となっていく。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 上』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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