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【歴史概要104】東欧革命・連帯・ベルリンの壁崩壊・ビロード革命

①ペレストロイカは東欧諸国に影響を与えた。新思考外交によりブレジネフが打ち出した制限主義論が放棄された。

②これにより1956年ハンガリー、1968年にチェコスロバキアで行われていたようなソ連介入の脅威がなくなった。

③共産党の一党独裁から複数政党制を認めた議会制度を採用、中央が管理・統括する経済体制から私的所有の容認、市場経済採用へ移行していく。

④その先駆けとなったのがポーランドとハンガリーであった。ポーランドでは1980年に自主管理労組である連帯が組織された。1986年から再活動、1989年の自由選挙で政権を獲得した。

⑤ハンガリーは1980年から市場化を目指す経済改革が推進された。両国の動きは1985年以降の東欧諸国に影響を与えた。1987年にチェコスロヴァキアで改革が始まった。1988年にハンガリーで旧指導層が退陣した。

⑥1989年は決定的な年であった。

ポーランドとハンガリーで連立政権が成立し共産党自体が分裂した。

⑦秋には東ドイツ市民の西ドイツへの脱出が始まった。

政府はチェコスロヴァキアとの間に結んでいたビザ免除協定を停止した。

⑧東ドイツ国内で反政府運動が加速し軍隊や警察は鎮圧できなくなった。

独裁者ホーネッカーは辞任した。こうしてベルリンの壁は崩壊した。東西ドイツは1990年10月に統一され東ドイツは消滅した。

⑨これ以後東欧諸国で共産党政権が崩壊していった。

これが東欧革命である。ルーマニアでは独裁者チェウシェスクが軍隊の反乱で逮捕され裁判ののちに処刑された。

⑩チェコスロヴァキアの改革はビロード革命と呼ばれ平和裏に行われた。ソ連のペレストロイカはソ連に先立ち東欧諸国が行っていった。

■参考文献
『30の戦いからよむ日本史 下』 関 真興 日本経済新聞出版社

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