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【歴史19】エジプト史備忘録34(マムルーク軍団・十字軍撃退・マムルーク朝・チュルケス人)
エジプト史の学習内容を深めていきます。
①この危機においてサーリフ親衛隊のマムルーク軍団が活躍した。マムルークとは軍人奴隷であり軍人にする事を目的に集められた奴隷たちである。
②9世紀からアッバース朝カリフを含む各地のイスラーム政権の君主や貴族たちはマムルーク軍団を組織して軍隊の柱とした。
③マムルークとされたのは中央ユーラシアの草原地帯で遊牧生活を営み騎馬技術に優れた弓の扱いにも長けたトルコ人たちだった。君主たちは騎馬兵士として資質が高い若いトルコ人を奴隷として購入した。
④イスラーム教徒に改宗されたトルコ人たちは数年にわたってアラビア語教育や軍事訓練を施した上で奴隷身分から解放して軍隊に組み入れたのである。
⑤サーリフはマムルーク軍団の拡充に力を入れた。マムルーク軍団がマンスーラに攻め込んできた十字軍に反転攻勢をかけた。これを撃退する事に成功した。
⑥エジプト軍はダミエッタへ撤退しようとする十字軍に追い打ちをかけて総大将のルイ9世を捕虜とした。マムルーク軍団の活躍がエジプト軍に大勝利をもたらした。
⑦マンスーラの戦いの直後にトゥーラーン・シャーはエジプト軍のもとに到着してスルタンに即位した。しかしマムルーク軍団やシャジャル・アッドゥッルに対して冷淡であり自分が連れてきた家臣を優遇した。
⑧1250年5月にトゥーラーン・シャーにマムルーク軍団はクーデターを起こした。トゥーラーンは倒された。
その代わりにシャジャル・アッドゥッルをスルタンとして即位した。女性スルタンである。
⑨エジプトに新しい政権をマムルーク朝が誕生した。
シリア各地のアイユーブ家の諸侯はエジプトのマムルークたちの政権を認めなかった。アッバース朝カリフも女性のスルタン即位に不快感を示した。
⑩マムルークたちは同じマムルークの将軍アイバクを新たなスルタンとした。アイバクはシャジャルと結婚してスルタンとして正統性を主張した。
⑪1251年にエジプトに侵攻してきたアイユーブ家の諸侯の連合軍を倒してエジプトの支配権を確立した。マムルーク朝はマムルークが軍の中核を担った。
⑫13世紀から14世紀において黒海北岸のキプチャク平原のトルコ系キプチャク人が14世紀後半以降は黒海東岸のカフカス地方のチュルケス人が奴隷としてエジプトに連れてこられてマムルークとなった。
⑬270年間のマムルーク時代で49人がスルタンとなった。23人が元奴隷のマムルークであり26人の大半はその息子や孫であった。治世下ではマムルーク将軍が多かった。
■参考文献
『1冊でわかるエジプト史』 山崎世理愛 五十嵐大介 河出書房新社
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