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【日本史9】明治史備忘録49(軍備拡張・進歩党・第2次伊藤内閣・松隈内閣・規制緩和・金本位制)

①日清戦争後の重要課題の一つはロシアに対抗するための軍備拡張であった。約2/3は軍事費に使われた。日清戦争後は軍備拡張に異を唱えていた多くの民権派の議員は軍備拡張を受け入れた。

②立憲改進党の中心にいた大隈重信は対外強硬派の議員を集めて進歩党を結成した。自由党は政府と協調路線をとった。1892年(明治29年)8月に発足した第2次伊藤内閣(5代目)では板垣退助が内務大臣となり有力議員であった星亨は駐米公使となった。

③伊藤は政府のなかで自由党反発勢力から非難されて辞任した大蔵大臣の後継人事が決まらず首相を辞任した。

④次の首相は松方正義の再任(6代目)であった。松方は大隈と協力した。大隈を外務大臣兼農商務大臣として進歩党と協調をした。

⑤1896年(明治29年)9月に発足した内閣は松方と大隈の名をとって松隈(しょうわい)内閣と云う。

⑥大隈の進歩党の目的は民権派の活動を守るための言論・集会・出版の自由に対する規制の緩和だった。

1897年(明治30年)3月に新聞紙条例が改正されて内務大臣の権限で新聞発行を停止できる条項が廃止された。

⑦松方正義の目的は金本位制の導入であった。松方が大蔵卿だった時は金本位制の導入をはかったが財源問題で銀本位制とした経緯があった。この時期は国際市場で銀の価格が暴落して為替相場で円の価値が下落していた。

⑧松方は清の賠償金を用いて海外から多くの金塊を購入して1897年(明治30年)10月に金本位制として円の価値を安定した。大隈と松方は目的達成後に対立した。

⑨松方が財源確保のために地租増税を唱えたからだ。

大隈は増税に反対して閣僚を辞任して進歩党と自由党が内閣不信任案を議会に提出した。

■参考文献 『1冊でわかる明治時代』 大石学 河出書房新社

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