よりみちして、これまで通り楽天的に生きる【レビュー記事】
「生きづらい」とは、どのようなこと?
このタイミングで自分にとって「生きづらい」とは、どのような事かと少々考えてみました。
実は実際のところ、自分自身では世の中が「生きづらい」とあまり感じた事はありませんでしたし、
「もう絶望的で、生きていたくない」などとは、考えた事もありませんでした。
自分の中では分かりづらいので「生きづらい」を、「嫌いな事」、「不快な事」、「悩んでしまう事」などというネガティブな単語として考えてみるとすれば、
自分でも感じるものがいくつか考えられます。
わたしは「雨降り」が嫌いです。
自分からは外出したいとは思えなくなります。よっぽどの事がなければ外には出ません。
ですが仕事などでどうしても外出しなければならない時には、どれだけ気をつけていてもクツの中が雨でビショビショになってしまい、
雨の中をそのまま歩き続ける事がとてつもなく不快でかなりのストレスを感じます。
わたしは「損」することが嫌いです。
お金も品物、時には時間や空間なども自分にとって「損」してしまったと思う時には、とてもストレスを感じます。
購入した品物が、購入した価格より安い値段がついているのを見つけた時、
急いでいるのに目の前で電車のドアが閉まってしまった時、
ライブなどであまり良い席ではなかった時、
飛行機の座席が人と人に挟まれている席しか空いていなかった時などは、失望感?で一杯になります。
わたしは「朝早く起きる」事が嫌いです。
仕事の時や予定がある時は、仕方なく起きなくてはいけませんが、できればゆっくりと寝ていたいと思います。
なので、平日はともかく、予定があり休日にも朝早く起きなくてはならないという時には、とてもストレスを感じますし、嫌いです。
いくつか「嫌いな事」、「不快な事」を挙げてみましたが、良く考えるとこれらは決して「生きづらい」事ではないように思います。
どうにもこれらが理由で、社会に絶望してしまうという事などありませんから。
生まれてこのかた、楽天的な性格で生きてきましたので、
本来であればつらく、不快な事でも鈍感過ぎて、自分が感じる前に目の前を通り過ぎて行ってしまっていたのでしょうね。
きっと「生きづらい」と感じる人は、言葉や物事、事象にとても敏感に「何か」を感じ取る人なのではないかと思います。
その「何か」をはっきりとは説明できませんが、とにかく人によって「何か」中身は違うのだとおもいます。
では「生きづらさ」を解消するには、どうしたらいいのか?
実はわたしには、分かりません。解答が思いつきません。
ですがひとつ思う事は、どこまでも自分一人で頭の中だけで考え続けても答えは出ないのではないかということです。
自分で答えを出せるのであれば、考え続けるということはないですよね。
周囲の人、家族、友人、会社の同僚、とにかく自分以外の相手にアウトプットする事で、解答を見つけられる事があるのではないかと思います。
正解を教えてもらったり、背中を押してもらったり、時には叱ってもらったりすることで自分の解答を見つけられる事もあるような気がします。
外に対してアウトプットできない人はどうすればいいのか?
その時は、「インターネット」でしょうか・・・・。
わたしも、「インターネット」に助けられる事が非常にたくさんありますので。
自分の中の結論ですが、これまで通り「楽天的に生きる」、だったりするかもしれません。
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以下記事本文より引用
*プラスハンディキャップ様より掲載のご了承をいただいております。
理由はわからないけれど、なんとなく息苦しい。
やる気が出なくて、何かに対して強い興味を抱くこともない。いつからか、景色が色褪せて見えるようになってしまった。他の人に指摘をされて、はじめて自分がため息をついたことを知った。
生きづらさは他の人には伝わらないようなものもあります。わかりやすい理由ばかりでもないのです。気のせいで片づけてしまいたくても、それもむずかしい。
毎日が忙しくても、心の中は退屈しているのかもしれません。
いきなり大きな変化を起こそうとするのはリスクが高いです。だからこそ、日常の中で小さな冒険をしてみてほしい。よりみちをする人は、あまり生きづらくないんじゃないかと思うのです。
「生きづらさ」は、緊急かつ重大な問題が差し迫っているときに使うことが多いです。病気で苦しい人や、お金が無いけれど働けない人、ギスギスした人間関係から逃れられない人など「誰から見ても、生きづらそうな人」はいます。
ただ「名前のつかない悩み」も苦しいよなあと思うのです。他の人に相談したら「贅沢な悩み」と言われてしまうようなもの。表面的にはうまくいっているように見える人に多い悩みな気がします。
他人から見たときにどうであれ、本人が苦しさを感じているのであれば、それは生きづらい。気のせいでは片づけられないし、無理にポジティブにとらえようとすると余計にこじれます。
生きづらさを感じていると、頭の中は自分の悩みでいっぱいになります。自分のことにエネルギーを割いているときは、他の人を思いやる余裕はありません。大変なときは、余白やアソビのない状態になってしまいます。
自分のことでいっぱいいっぱいになると、客観視ができなくなります。全体像をとらえられなかったり、どこが問題なのかを勘違いしてしまったりして余計に遠回りすることもしばしば。
そんなときこそ、とりあえず場所を変えてみるとか、お茶を飲んで一息つくことが大切だと思うのです。問題から距離を置いてみるのです。
余白が無いのであれば、作ってしまえばいい。よりみちは、自分の時間をどう転ぶかわからないものに費やしてみることです。
今まで通ったことのない道を歩いてみたり、いつもならスマホを触っていた時間に本を読んだり、あまり話したことのない人に質問をしてみたり。無意識に手が伸びる方とは、別の方を選んでみると新しい発見をすることができます。
遠回りして帰ったら、景色がきれいだった。初めてのお店に入ったら、意外とお気に入りになった。冒険してみたら失敗で、やっぱり自分の定番の方がいいと思うこともあるでしょう。定番への愛着が強まることもあるかもしれません。
それでも、一度試してみることで自分の中の何かが変わるはずです。
新しいものは意識的に取り入れないと、停滞の原因になります。楽な方を選び続けると守備範囲が狭くなり、頭がこり固まってしまうのです。
よりみちは、自分の古いパターンを壊し、新しい挑戦をしてみることです。一歩、離れてみれば、日常を客観視することにつながります。新しい出会いは、別の方向へと導いてくれることもあります。
未来につながるタネをまいていくイメージです。どうせなら、わからない状況を楽しんでしまえばいいじゃないですか。芽が出たらラッキー、くらいの試みです。
悩んでいるときに、問題から離れてみるのは勇気がいります。無駄ことをしている暇はないと不安になってしまったり、休むことも罪悪感を抱いてしまう人もいるでしょう。ただ、ちょっとよりみちしたくらいで、あなたの悩みは無くならないので心配しなくても大丈夫です。
大変なことに立ち向かっていくとしても、ずっと苦しみ続けている必要なんてないのです。たまには新しいことをした方がいいし、おいしいものを食べた方が元気になるし、夜は眠っていい。生きづらさから抜け出すのはマラソンのようなものなので、ペース配分が大事です。
生きづらい人こそ、無理のない範囲でよりみちをしてみてはいかがでしょうか。
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