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#40 母の日に寄せて

 東京の叔母が亡くなってから、早いもので1年が過ぎた。叔母の家族から無事に記念会を済ませたとの報告を受けたが、キリスト教において『死』というものに対する考え方は、仏教でいう『不幸』ではなく『神の祝福』なのだそう。生前、叔母が大好きだった『🎵翼を下さい』は、私達のハンドベル演奏に乗せて天国に届いているだろうか。

『ハンドベル演奏🎵翼を下さい』
https://youtu.be/yayrKhVAikI?si=GlFVvvcZK-fGMhmS
 
 大切な妹を亡くした当時の母は悲しみに暮れていたが、まもなく訪れたひ孫の誕生が心を癒してくれた。母は、記念会を迎えた東京の親戚に手紙を書いていた。手紙の文章は適切で文字もしっかりしているが、認知症はゆっくりと、間違いなく進んでいる。

 今年、都合で母の日に会いに行けない私は、少し早めに花束を持って母の顔を見に行った。テーブルに花を飾り、父と姉も含め一緒に昼食を楽しんだ。花を眺めながら話し、
『綺麗なお花をありがとう』
と、私にお礼の言葉も口にしていたのだが・・・翌朝、母の記憶の中で花の贈り主は私ではなく姉になっており、姉に宛てたお礼の手紙を書いてテーブルに置いていたのだとか。
 『このお花は、昨日〇〇(私の名前)が持って来てくれて、ここで一緒にごはん食べたよ。』
姉がそう説明すると、ゆっくり思い出し、少し理解したようだった。姉にとってはこのような母の言動が日常的で、日々やりきれない思いが溢れてくるという。
 日曜日の礼拝に行きたがらないこともある。
『仏教の家庭に嫁いだのだから、私は仏教のお葬式をするのが良いと思う。』
昔の記憶が前に出ている時の母はそういう言い方をするが、別の日には、
『娘2人がいつも教会へ連れて行ってくれるから嬉しい。ありがとう。』
と言っている。他にも、色んなことが記憶のなかでごちゃごちゃに混ざり合うようだ。ゆっくりと見守って生活するしかないのだけれど。

 毎日ピアノを弾くという目標は、マイペースに続けていると姉から聞いている。ひとしきり弾いた後は、グランドピアノの周りを歩行器を使いながら一周歩く。部屋に飾ってあるたくさんの家族写真を眺めながら、子や孫、ひ孫の名前を1人ずつ呼び、頭の中を整理しているようだ。
 ハンドベルの話をすると、とても嬉しそうに会話に入って来る。大好きなハンドベルが母の記憶から消えてしまわないように、母から受け継いだハンドベルを演奏し、残された人生で出来るだけたくさん聴いてもらいたい。
少し早いけれど、母の日に寄せて・・・。
『お母さん、ありがとう💐』

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