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#025.楽譜は作品の方向を示す羅針盤

みなさんこんにちは!トランペットの荻原明(おぎわらあきら)です。


中学生の頃、楽譜が読めませんでした

僕は中学生の吹奏楽部でトランペットを始めましたが、それまではピアノを習うとか、音楽に触れることがまったくなかったために、楽譜が読めませんでした。

かろうじて運指表を参考に音の高さ、ドレミとそのフィンガリングは少しずつ覚えたので、楽譜に書かれている音の高さについては理解できました。

問題はリズム。音符とその長さが理解できない。困った。
吹奏楽は演奏するジャンルも様々で、難しいリズムも頻繁に出てくるので余計困りました。

それでどうしたかと言うと、暗記です。暗譜なんて崇高なものではありません。暗記です。

リズムを暗記する。そのためにまず音源を手に入れました。吹奏楽のトランペットは幸いなことにメロディを担当することが多く、どの場面もとても良く聴こえてきます。拍は何とか数えられましたから、音源を聴いて今どこにいるのか、何小節進んだかは何度も聞けばわかりました。何度も何度も繰り返し聴くことで「このタイミングでこのリズムでこの音(=この運指)で演奏する」という暗記ができ、同時に楽曲全体の完成図も覚えることもできました。

結局僕の場合「この音源のメロディ(リズム)が楽譜にはこう書かれる」という覚え方をし続けていたわけです。普通の音楽教育は逆で、「この楽譜にこう書いてあればこう演奏する」と学ぶので、最初からいろいろおかしかったのかもしれません。

ただ、この真逆の覚え方をして良かった点も結構あります。例えば「楽譜は音楽の全ての情報を記した絶対的な存在ではない」ということに最初から気づけたこと。楽譜に書かれていないことがたくさんある。そして音楽には楽譜を超えた自由さがあるということ。

例えば音色。楽譜には楽語というある程度決まった文字(主にイタリア語)を書くことができて、音色のイメージ、音色の方向性が指示されることもありますが、それでも結局は自分がその場面に一番ふさわしいと思う音を自由にイメージして良いことを知りました。

例えば作品の中に込められた臨場感。映画音楽を演奏するとき、楽譜を見ているだけではその映画のストーリーや俳優の演技、様々なシーンはなかなか見えてきませんが、その楽譜を元に演奏することで、自分も、お客さんも記憶の中から映画を思い起こしたり、映画を知らなかったとしてもどんなシーンか、どんな作品かを自由に想像できるわけです。楽譜は音にすることで初めて音楽となり、そして力を発揮するのだ、と知りました。

ですから、「楽譜に書いてあるデータを正しく抽出しなければならない」という発想は当時は持っていなくて、それよりもこの楽譜を音楽にしたい、そしてその音楽にしている自分の演奏をたくさんの人に聴いて欲しい。トランペットに関してはそんな自己顕示欲の塊のような中学生でした。
思い返せば、その時自分の演奏が上手だとか下手だとか全然考えていなかったように思います。

幼少の頃に音楽教育を一切受けなかったことで絶対音感は皆無だし、耳は鈍いし、聴いただけの音を具体的に認識するのは苦手です。なので自分のやりたいことを叶えてくれる楽譜の存在がとても大切で大好きでした。部活で渡された楽譜だけでは飽き足らず、もっといろんな曲を吹いてみたい!という気持ちで中高生の頃は休日になればヤマハや楽譜が置いてあるお店に行って一日中楽譜を見ていました(お金がないのであまり買えないから)。でもこれがすごく楽しかった。

私が楽譜を読めるようになった少し変わった経緯のお話でした。こんな感じだったので、楽譜に対して苦手意識を持ったことはありません。

楽譜を読むのが苦手な人の特徴

一方で楽譜を読むことが苦手な人は「楽譜は音楽にとって絶対的な存在」と捉えすぎている傾向にあります。楽譜に書かれているデータを正確に抽出すること「だけ」が演奏者の使命である、という発想に近くなっています。しかしこれでは、演奏者の存在価値が楽譜以下になってしまいます。

先ほども書いたように、楽譜は全ての情報が書かれているわけではありません。ではそれを理解するために、ひとつの楽譜が完成するまでの経緯をたどってみましょう。

小説家になってみよう

わかりやすく楽譜ではなく「文章」に置き換えて考えてみましょう。

あなたは小説家です。どんなジャンルでも構いません。面白いストーリーが思いつき、それを原稿に書いていきます。

と、ここで一旦ストップ。

あなたはなぜ原稿に文字を書いているのですか?文章にすることで、それが不特定多数の人のもとへ届けられるからですよね。作者の頭の中にあるだけでは、それを誰かに伝えられませんから、当然共感も感動もしてくれません。

「伝えたい」。その気持ちを叶えられる基本的な手段が、小説の場合は文字に書き行為なのです。

さて、小説家のあなたは、自分の作り上げたストーリーを見事、本にすることができました。出版された本は書店やネットで販売しています。結構売れているようです。嬉しいですね。

はい、ここでまたストップ。

小説家のあなたは、本を買ってくれることがなぜ嬉しいのでしょうか。印税収入があるから?それもあるでしょう。でも一番の喜びは自分の心や頭の中に描いたストーリーを読んでもらい、共感したり、笑ったり泣いたりハラハラしたりホッとしたり、読者にそうした「心の動き=感動」を覚えてもらいたいからだと思います。

次に読者側になってみよう

興味のある本を手にしたあなたは、早速本を開き、読み始めます。

ところで「本を読む」というのはどのような行為でしょうか。活字を眺めて「この漢字の画数が好きだ」とか「この字体のバランス、なんとも言えず素晴らしい」とか「本の匂い最高」とかでしょうか。もちろんそういう楽しみ方を否定するつもりはありませんが、本質はやはり字が集まって単語になり、それらが繋がって文章になり、そしてストーリーになっていく「文字から生まれた作品」が自分の心の中で作られていく楽しさではないでしょうか。部屋の中で手にした小さな本から、無限のストーリーが生まれてくる。世界旅行にも宇宙にも異世界にも、タイムスリップもできる。それが読書の楽しさです。

楽譜の存在

さて、もう楽譜の話をする必要もなくなりました。楽譜もまったく同じ存在ですね。楽譜単体ではただの記号の羅列です。大切なのはその楽譜に書かれていない部分をイメージすること、感じることです。

作曲者はどんなイメージで書いたのだろうか、そして自分はこの作品に対しどんなイメージを持って演奏したいか。自由にイメージしていくのです。

唯一小説と違うのは、演奏者にはこの先に大事な使命がある、という点でしょう。

楽譜を読む人は主に「演奏者」です。演奏者の課せられた使命は「聴く人へ楽譜から生まれた音楽を届けること」。楽譜から感じ取った作曲者のイメージを尊重しつつ演奏者のイメージをそこに込め、聴く人に届けて一緒に共感したり、何かを感じてもらう。この行為が成立することで、やっと音楽となります。

作る人、演奏する人、聴く人。すべてが音楽を構成する大切な要素なのです。したがって、楽譜はその音楽の方向性を示す羅針盤のような存在なのです。


いかがでしょうか。楽譜を読むのが苦手!という方は楽譜の見方を変えてみましょう。自分が楽譜に支配されるのではなく、もっと自由に捉えて良いものなのです。

しかし、そうは言っても楽譜に書かれた最低限の情報は理解できないと話は進みませんから、次回の記事では最も基本的な楽譜に書かれた情報について解説してまいります。

それではまた次回!


荻原明(おぎわらあきら)

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荻原明(おぎわらあきら):トランペット
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