ぼくらのRoot(根元)。
にほんとせかい。
いうまでもなくにほんは貿易立国である。
にほんだけでなく、諸外国も貿易をしていて、自国だけでないその行為で経済が成り立っていることは誰しも知るところである。
では、文化はどうか。
外国では多くの人が信仰を持っているという。世界五大宗教といわれるそれである。
にほんにも神道という、自然信仰に始まり全ての物には意思が宿るという八百万の神々といったかんがえのにほん独自の宗教がある。
いいたいのは、自然信仰が宗教に行き着いている、その流れである。
SDGsにその信仰を加味できないか。これまでのせかいとの関係で培ってきた経験も活かして。もちろん、悟りと人類全体の救済を目指す仏教も。
時系列でにほん独自という宗教という神道、そして発生・派生した順に宗教を並べると、
神道(自然信仰で多神教、八百万の神)
ヒンドゥー教(多神教、輪廻)
ユダヤ教(一神教)
仏教(悟りと人類全体の救済)
キリスト教(一神教)
イスラム教(一神教)
となる。こうしてみると、わたしたちは、せかいの呼吸と一緒に生き、育まれてきた文化とともにあったことに気付く。
にほんは無宗教者が多いなどともいうが、土台がない思想がもたらす果ては根無し草だ。
なにも信教せよという訳ではない。ただ、事実なだけだ。
にほんでも、精神性の行き先が危惧されて久しい。では、なぜ、欠落が起きるのか。
それは、表現にあると思う。言語をみると、EnglishはalphabetでAからZまでのくみ合わせのcountでできているのに対し、にほん語は、漢字などの、表意文字(一つ一つの文字が意味を持つ文字)と表音文字のくみ合わせでできている。つまり、雰囲気。
ここで、経済MODELという用語を用いたい。第一次産業や第二次産業などというそれである。もう、社会の維持の仕方とその限界は経済的に見知っているのだ。それも、各せかいが。わたしのいいたいことは表現による内容だ。そう、言語による。
content(内容)。宗教とともに歩んできて今日の繁栄があるのだから、これからも。
personality(個性化の過程)を経ての適正な考え方。それには、判り易い社会。いつまでもinput(入力)はメモリ的にできないのだから、そうせねば。
未来のためにできること。ひとり一人の認識。