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私は、自身の本の世界を聾学校に持ち込まなかった。読書感想文コンクールについても同様で私は、聾学校図書室にあっただけの本について書いた。

聾学校小学部と中学部合同の行事として、毎年、読書感想文コンクールがあった。入選は小学部中学部の生徒全体で、1,2人、佳作は5人ぐらいだったかもしれない。小学部と中学部で、入賞を分ける基準があったのかどうかは分からない。

私は小1、小2のとき、2年間続けて「入選」した。
当たり前だ。母と二人羽織で書いていたのだから。そのことに、私は違和感は持たなかった。その前の聾学校幼稚部時代では、毎日日記を暗唱したが、その文章のベースは、母が書いたものであった。読書感想文を母と一緒に書くことは、幼稚部時代の日記の延長の感覚であった。ただ、その感想文は入選したにもかかわらず、私は何の本について書いたのか覚えていない。

読書感想文の課題図書は決まっていなかったと思う。「課題図書」という言葉すら当時の自分は知らなかったからだ。入選した感想文には、絵本もあった。私は読書感想文でどの本を取り上げるかは、周囲の友達とは全く話題にしなかったし、先生とも相談しなかった。周りの友達がどのように本を選び決めていたのかも、私は知らない。
読書感想文で書く本を何にしようかと思いながら、六畳ほどしかない、化石のように時間が止まっていた図書室中をうろうろしていた自分をかすかに覚えている。本棚に食い入るようにして本のタイトルを1つ1つ見ていた自分がそこにおり、本棚を、本と本の境目が溶け出すような残像として見ている自分も、そこにいる。

記憶の底を浚ってみても、小学部の間、私が読書感想文でどんな本をとりあげ、書いていたのか思い出せない。自分はお気に入りのシリーズや作家がいたのだが、それらの本と読書感想文を結ぶシナプスは見つからない。
私はおそらく、周りの友達が読む本の傾向や、聾学校図書室にある本かどうかで、とりあげる本を決めていたのではないか。「家庭に仕事を持ち込まない」という言い方があるように、私は聾学校に読書を持ち込まなかった。
私の読書の世界は、聾学校と聾学校外できれいに分かれていた。それは、私自身が、知らず知らずのうちに張った結界であったかもしれない。

私の書いた読書感想文を先生に直された記憶はほとんどない。それは、私の書いたものに、少なくとも日本語の文法上の目立つ間違いがなかったからなのか、はたまた、子どもの読書感想文にはできるだけ先生の手を入れない方針だったのか、私が覚えていないだけなのか、分からない。
先生は、読書感想文に限らず作文指導で、あらすじは書かない!気持ちを書く!と口をすっぱくして言っていた。避けるべき文章の書き方は、以下のような文章を指しているらしかった。

~でした。
~でした。
楽しかったです。

時系列に事実を羅列し、最後に感情でしめる書き方だ。

読書感想文コンクールの作文集が出ると、その年に入選した児童生徒の感想文を繰り返し読んだ。入選する読書感想文とは何か、という視点をもって読んだ。網膜、あるいは、海馬の奥に広がるのは、聾学校読書感想文コンクールの作文集を開いたときの目次レイアウトであり、入選した「友達」の読書感想文の切れ端である。
読書感想文を書くからには、入選したいと私は思っていた。
小学生の私は、「望ましい」作文を書くために、「入選」できるような作文に仕上げるために、作文が「無味乾燥」にならないように、感情をまんべんなくちりばめて書いたつもりであった。
しかし私の書いた読書感想文は、二人羽織の小2を最後に、読書感想文コンクールの入選にも佳作にもかすりもしないままだった。読書の多寡や文章力などを、聾学校の友達と比較する発想はなかった。

小5か6のときに、私は国語の教科書題材の話について、読書感想文を書いた。これは読書感想文コンクールとは全く関係がなく、国語の授業の一環であった。私は、手早く書いて提出した。その後、私は先生に声をかけられ、感想文を「とてもいいよ!」と褒められた。私はびっくりした。何も考えずに、「作為」を交えずに書いた感想文が、いい「読書感想文」だとして褒められたからだ。
まだ戸惑っている私の前で、その先生は「この作文をそのまま読書感想文コンクールに出したいのだが、国語の教科書題材だからなあ・・・出せないなあ」と残念がってくれた。

それから私の体内時計は少し進み、私は中学生になった。
中2のある日、市立図書館で、「読書感想文の書き方」という本を見つけた。私はもう聾学校図書室からは足が遠のいていた。本を借りるために、市立図書館に通うようになっていた。私はそれを読んだ。いくつか知ったことがあった。
私が一番驚いたのは、聴こえる子どもたちも、読書感想文の書き方に悩んでいるということだ。でなければこのような本は出ないはずだ。
私は、聾学校隣の小学校との交流企画で訪れた小学校の、図書室の風景を思い出していた。あんなに広く、整然としていて、新刊が定期的に入っていそうな図書室がある学校の中にも、読書感想文の書き方に悩んでいる子がいるのか、と思った。

その本に書かれた定石を踏まえて、私は読書感想文書きに取り掛かった。もう私は聾学校図書室から本を選ばなかった。私は初めて、自分の本当に好きな本について、読書感想文を書いた。それは中学生男女数人が結託して、学校の先生たちや親に対して痛快な反抗をしかける小説であった。このような本を読む友達は、私の周りにはいなかった。
自分は聾学校内では「ふつう」ではなかった。
しかしこの本は聾学校外の小中学生に人気の高い本だと分かっていたことも、かまうものか書いてやろう、と後押しになった。好きな本だったから、私はすらすらと感想文を書けた。
そして、それは読書感想文コンクールで「入選」した。小2以来6年ぶりの入選であった。いや、自分1人だけで書いた感想文としては、初めての入選であった。私は、入選したこと自体よりも、私が好きな本を紹介できたような気がして嬉しかった。しばらくの間、私は、読書感想文コンクールの余熱を私一人の胸で味わっていた。

聾学校時代のなかで、読書感想文について精彩をもって思い出せるのは、中2の1回だけだ。そのほかは、精彩どころか、残りかすさえ無い。
おそらく中2での入選のあたりで、私が張っていた結界は破れた。私の「本の世界」は相転移した。私は自宅から本を持ってきて、教室内の本棚に勝手に並べるようになった。友達からは「誰も読まないよ!」「意味がない」とあれやこれや言われたが、私は等閑に付した。それは少しずつ増えていき、中3の卒業間際では、数十冊ほどになり、家に持ち帰るのが大変だったほどだ。
ついに最後まで「友達」は誰一人私の本に手を伸ばさなかった。私が並べた本を読むのは、聾学校の中でもやはり私だけであった。
ただ私が自身の本棚を、読書の世界を「公開」したことで、中学部の先生たちと本について時々話し合うようになった。本の貸し借りをする関係の先生も出てきた。読書が話題の1つになりうるということに気が付き始めた頃であった。

聾学校卒業後、入学した高校で、夏休みの宿題として読書感想文が出された。自意識過剰の、中途半端な勉強一筋の高校1年生は、ある鯨を捕まえることに情熱を燃やす船長についての小説を取り上げた。小説としては、私の好みではなく、特に思い入れもなかった。膨らみ過ぎた自意識が選ばせた本であり、当然の帰結として、その読書感想文は座礁した。船の底に空いた穴をふさぎに走っては、別の穴から海水が噴出し、という収拾がつかない感想文となった。
何の因果か、私は聾学校時代の読書感想文と同じ轍を踏んでしまっていたことになるのだろう。読書感想文の本を、自分の好きな本ではなく、わざわざ狭く小さく薄暗い図書室から選んでしまったように。

翌年高校2年生の私は、前年の痛い失敗を踏まえ、本当に、自分の好きな本を選んだ。私自身がその本に入り込み、思考を攪拌させられた本について、原稿用紙の中心で叫んだ。
高校生活のなかで、人とのコミュニケーション不全感を絶えず抱えていた私にとって、読書感想文は、もはや面倒なしろものではなかった。「自分はこの本が好きだ。私はこの本を読んでこういうことを感じた。」と自分自身をアピールし訴える場は、読書感想文しかなかった。
おどおどしていて口数の少ない、変な話し方をする、あいまいな笑顔をはりつけた「耳の不自由な少女」は、原稿用紙のなかでは、はきはきと自分の意見を述べる高校生になれたからだ。
中2のときに書いた読書感想文で、自分の好きな本を誰かに紹介できたという嬉しさをまた味わいたかったのかもしれない。

私は学校に提出する前に、自身の書いた作文を何十回も読み、何度も推敲を繰り返した。それは聾学校とは違った、熱の入り方であった。そのようにして書いた感想文は、校内の読書感想文コンクールで入賞した。夏休みの宿題として課された読書感想文が、校内の読書感想文コンクールに出されるという流れ自体も、そこで初めて知った。

読書感想文コンクールも、そこで入選することも、それらは私の意識の外にあった。何より自分が、聴こえる人たちの「ふつうの学校」で入選できるとは全く思っていなかった。だから入賞したときに私は一種の放心状態になった。
聾学校時代、あれほど私は、読書感想文コンクールに過敏なまでに身構えて対峙していたというのに。
高校生の私はもう、聾学校の先生たちの、「日本語作文指導」なのか「読書感想文指導」なのか判然としない「指導」には洟もひっかけなかった。また中2の時に読んだ本「読書感想文の書き方」の定石もどこかへ放り投げてしまっていた。何より、その本の内容は、ろくに思い出せなかった。
翌年も入賞した。読書感想文を書くのはこんなに簡単だったか、と思った。
しかし、2回の入賞のいずれについても、私の書いた読書感想文は中空を漂い、どこにも着地しなかった。

聾学校時代の「読書感想文」から私が引っ張り出すのは、何層にも積み重なった記憶であり、とくに感情も伴わない意識の名残である。

先日、聴覚障害児教育の関係者から聾学校での読書感想文の指導方法についていい方法はないかと聞かれた。
私はその答えを半分知っており、半分は知らない。

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