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自分がつまらない聴者のコピーになっているのではないかとぞっとした。そして聾学校の子どもたちの愛すべき複雑さと豊かさに思い至ったのであった。

聾学校の「養訓」は何を勉強する時間なのか分からなかった。道徳や学活と同じような位置づけで私にはそれらの区別はなかった。

卒業式は見事に規律がとれた軍隊演習のようであった。それでいながら、私の卒業式答辞を誰も「聞いて」いなかった。

聾学校高等部にあがれば「手話」が解禁される。それまでタブーだった手話を堂々と使っていいのだ。あまりの変わりように、気持ち悪いと私は思った。

自分は「弱かった」自分を語り始めた。屈曲した世界は、屈曲のままに、つぶさに語るしかないのだ。どれだけ言葉を重ねても世界は描けないとしても。

私は自分ひとりきりのチームで、異星に降り立った。私は「大人」に頼る発想がなく、早く大人になりたい、自身の人生に責任を持ちたいと思っていた。

  • 聾学校時代

    38 本
  • 一般高校時代

    24 本