それは「友情」か「憐憫」か。聴こえる「友達」とのつながりの意味を、私は高校時代ずっと考えていた。
聾学校同級生とは、1,2歳の、おむつもとれていない頃からの乳幼児相談のときからずっと一緒に過ごしてきた。物心ついたときから、隣にいて、毎日学校で一緒に過ごしてきた仲だ。私には彼らが「ともだち」であった。
「ともだち」のそのお父さんもお母さんも、兄弟姉妹も、全部ひっくるめて、私は知っていた。家族ぐるみで旅行やキャンプ、登山もした。隣の家のおばさんよりずっと濃い間柄であった。
私の母にとっても、周りのお母さんたちは、単なるママ友ではなく、同じく聴こえない子どもを育てる同志、戦友で