強さよりも柔らかさの方が強いのかもしれない
鬼滅の刃を読んでいて感じたこと
猗窩座と炭治郎の戦いで何となくそう感じた。
鋼のような強さ、怒りや憎しみを凝縮したような猗窩座の強さは確かに本当に強いのだろう。
けれど、透明な感覚、自然で全てをフラットした状態になった炭治郎の方が強かった。
同じ意味合いかわ分からないが
私は今まで、努力、忍耐、必死に頑張るなどとちらかと言えば、鋼の強さの方を求めて生きてきたような氣がする。
もちろんそれも大事な事だし、その時の私には必要だった。
けれど、今はフラットに流れを感じて生きること
柔らかく何かに包まれた感じで流れに身を任せてみるのが良いんじゃないかなと感じている。
何となく、今日、鬼滅の刃を読んでいて感じたこと〜
ちなみにまだ猗窩座との対決までで最終巻まで読んでません笑
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