私の人生において「ぞうきん」が意味することを考えてみた(その2)
教員として働いていた時、同僚の発言が今も忘れられない。
わたしたち、ぞうきんみたいよね。
ぞうきんのしぼりかすで授業をしているよね。
どういうことかというと、
教員としても学び続けたい、インプットをしたい
新しくインプットしたことを子どもたちにアウトプットしたい
しかし、兎にも角にも
忙しすぎる
忙しすぎて
最低限の仕事と、
最低限の家事や育児をすることで手一杯
インプットをする余裕がない
新しい情報が入らない状態で
既に知っている情報を絞って、絞って、絞り出して、
アウトプットする
もう、ぞうきんの絞りかすすら、出ない、
そんな状態で授業をしている、と。
インプットしたいという気概があればまだいいのかもしれない。
疲弊しすぎてインプットしたいという意欲すらなくなってしまった教員もいるに違いない。
未来の大人が育つサポートをしている教員が
そうなってしまうような社会でいいのか。
学びと成長の活き活きした循環を
大人も子どももウキウキしながら楽しめるような、そんな社会を創りたい。
インプットしまくって、アウトプットしたくてたまらない
スポンジのようにぐんぐん吸収して
それを惜しみなくシェアしたいと思えるような、そんな学びの循環。
泉から水が豊かに、とめどなく流れるように。
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