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『ドリームキャッチャー』〈1〉

これはフィクションです。
〈1〉〜〈4〉で完結です。

【六月三日】
「ねぇ、明晰夢めいせきむって知ってる?」
 同僚たちと飲んで帰宅した僕は妻の背中に上機嫌で話し掛けた。飲むより食べるほうが好きだから、ほとんど酔ってない。
「めいせきむー?」
 妻は振り向きもせずに答える。熱心に磨いている鍋は、もうピカピカだ。
「『これは夢だ。』って、自分で認識している夢のことさ。夢の中で思い通り、好きなことができるんだ。自由に夢を操れるんだよ。」
「へー…。」
 意味が分かってないのか、それとも関心がないのか…。
 それじゃ、これでどうだ?
「そうだなー。例えば、君が最近見てるドラマの…。ほらこの前、リコとも話してただろ?声が良いとか、かっこいいとか…。」
 高校生になった一人娘のリコは学校から徒歩五分の祖父母の家で暮らしている。
「朝はギリギリまで寝る。」
そう言うと、進学と同時にこの家を出た。
 週末くらいは帰って来るかと思っていたのに、映画だとか、ショッピングだとか言ってさっぱりうちへ寄り付かない。
 妻は予想通り、今度は体ごと振り向く。
「え?まさみ様のこと?」
 ほうらね。
 予想通りなのに、急に胸はモヤっとした。
「そう。そのまさみ様?とやらにも夢の中で会ったり、一緒に食事したりできるわけ。」
「え!?なにそれ、素敵じゃない!!」
 妻は目を輝かせた。
 こんな顔、僕に向けられたのはいつ以来だ?
 モヤっとしていた感情の輪郭は、じわじわ苛立ちへ変わっていく。
「だろ?その明晰夢を誰でも簡単に見ることができる装置を、今開発してるんだ。それでモニター試験の前に、研究員の家族で軽く使ってみようかってなって。よかったら君も試してみてくれない?」
「私がまさみ様に会えちゃうの?」
「あくまでも、夢だよ?まさみ様に限らず誰にだって会えるし、何だってできる。もう無くなっちゃった場所とか、絶滅してしまった動物とか、データがあれば何でも登場させることができるよ。あとは…そうだな受験生とか、夢の中で勉強することも出来るね。」
 話の後ろの方は、もう彼女の耳に届いていない。何を考えているのか、宙を見つめる妻の口は半開きだ。
 反応は想定内だ。想定外だったのは自分の感情だった。
 これはあれか。飽きてしまったおもちゃなのに、誰かが使い始めた途端にすごく惜しくなる。
 苦々しい気分で自分自身に言い訳する。
 たかだか夢なのにばかばかしい。さっさとここを終わらせてしまおう。
 僕は手のひらサイズの平たい長方形の装置を鞄の中から取り出した。
「これ。『ドリームキャッチャー』っていうんだ。これを枕の下にセットして眠るだけ。思い通りの夢を見るためには、会いたい人とか行きたい場所の画像やデータを入力する。ここのカメラで取り込むと、こっちの画面で確認できる。そうだな…、手元にチラシとかレシートとかあるなら、そのまま読み取ればいい。ネットワーク上から自動で情報を収集してくれる。日付も有効化すると、その日の天気や出来事の情報なんかも反映されるよ。相当リアルになるはず。」
「うわ、すごいのね!ありがとう!やってみるわ。」
「じゃ、僕はもう風呂入って寝るから。」
 本当は、設定までしてから渡すつもりだった。なのに、いたたまれなくなった僕は、妻にドリームキャッチャーを渡すと、すぐその場を後にした。

 今の研究室に配属された時、早朝出勤、午後出勤、夜勤、と勤務シフトは不規則だった。妻とは、お互いの睡眠の邪魔をしないよう寝室を別々にした。結局、夜勤まで必要とした程の研究は、その後あっさり没になり、勤務シフトは朝出勤、夕方退社の定時に落ち着いた。けれども、今も寝室は別々のままだった。




つづきはこちら
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