数十年前のお前に告ぐ
昔読んだ漫画で、漫画家は昔、自分が夢中でマンガを読んでいた自分自身に向かって書くんだみたいなシーンがあったけれど、全ての人がそうではないだろうし、そう思っていても変わってしまうのだろうけれど、いい言葉だなと思った。
かつて応援しているサッカークラブから、ライバルチームに移籍する際にある選手が、自分の中の小さな自分にどうしたいか問うたと発言していたが、それも類する話なのかもしれない。
生きる歳月が伸びると、惰性というものと妥協を身に付けさせられたり、身を守るために選択せざるを得なくなることが少なくないように思う。あるいは保身や精神安定のため、処世術とかそのあたりの理由で。
子供の頃や思春期に夢見たことなんてほとんどなくて、むしろ大人になるにつれて夢は焦がれていったから、今の自分にがっかりするより、大丈夫?辛そうじゃないと
かつての私は心配しているだろうが、生きているうちにしか嬉しいことも悲しいことも多分ないだろうから、ぼちぼちやっているよと答えるだろうな。
かつての私は小説も音楽もほとんど興味がなかった。漫画だけだった。それも大して詳しいわけでもなく物語だけが好きだった。今は小説に限らず本が好きになったけど、授業以外で活字読むなんて正気か?と思っていた。
かつての(そして今も)あんぽんたん。お前、電子の世界の白紙に日々たわごと書き連ねるようになるぞ。酒は大して飲めないが、世間と活字に悪酔いするようになるから耐性つけとけよと。
過去はいつだって過去であり、恣意的に改変はできないが、現在の私が行う行動をする際に、胸の中のあの頃のちびすけに問うてみるのだ。これでいいか、満足いくかと。
好きにやれよと彼は言う。そうか、すまんなと私は返す。なるようにしかならぬのだしても、なるようになれるだけあがきたいから。