まぼろしキャンドル
青い空が広がる日でも、気持ちが塞いで遮光カーテンを引いてしまっているような日もある。曇りや雨の日だけが後ろ向きなわけでなく、前に進もうとするからこそ躓いて転んでしまうこともある。
遮光カーテンは、名前の通りに光を遮るのだけれど、光そのものがない闇夜には隙間から光を集めてしまうようで、部屋の電気を消して、安物のアロマキャンドルに火をつけて過ごしていたことがある。
忍び込む光を怖がるのは、いささか病んでいたのかもしれないが、今では灰暗い場所に差し込むひかりを好ましく思えるけれど、当時はひかりを怖がって灯りを点していたのだ。
耽美な見た目であればさぞかし似合っただろうが、生憎と私がそれをやると通年で開催されるハロウィンのようで、傍目にはホラーであっただろうが、どうあれ暗がりで蝋燭を頼りにぼんやり過ごす時間は心地よかった。
強い光は眩しくて、仄かなあかりすら怖がってしまう頃には、触れたら熱くて火傷をするのに、溶けて揺れながら灯る焔がやさしく感じられた。
今は暗がりの方が安心するのは変わらないけれど、キャンドルに火を灯すことはなくなった。あの日々の灯りを胸の中のカンテラに種火として移したのかもしれないが、そんなメルヘンな発言の似合う人間ではないなと深い苦笑いを浮かべる。自重できない人間の自嘲。
明かりを灯せと、私の好きなバンドは歌う。淀みないものを集めることは、まだ今の私には難しいけれど、それがちいさなあかりであるとしても、消えない思いのようなあかりはあるから、白日に揺れる風の中でも灯せる日が来たらと密かに思っている。
晴れない気持ちの青い空が夜になった頃に、そんなことを思い返していた。