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形式的な道徳授業

道徳授業で教科書を使うようになって感じることは、形式的な道徳授業で済ませておこうと考える教師が意外と多いということです。
その理由の1つに、教科書に準拠した指導書を参考にして授業ができてしまうというものがあります。
指導書には、主な発問や指示、流れなどが書いてあります。
指導書を読むだけで、自分で深く考えることなく授業ができてしまうのです。
中には、その日に指導書をながめて、道徳授業をする教師もあるようです。このような形式的なやりかたでは大きな間違いはおきにくいものです。つまり、無難な道徳授業になるのです。
形式的な道徳授業で、はたして生徒の心を良い方向へ変容させることができるのでしょうか。
生徒が本気で考え、意欲的に発言し、ワクワクする、ためになるような道徳授業になるはずがありません。
教科書が導入される前のほうが、いろいろな道徳授業を見かけました。
こちらのほうが、良かったと思っているのは私だけでしょうか。

(つづく)