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「なにくそ!」と思えるか
25年前、一緒に仕事をしていた業者さんが独立し、今では会社を経営している。
当時の私は仕事に没頭し、夜中でも業務に取り組んでいた。
彼もまた同じで、深夜に携帯電話でやり取りをしながら、納期に間に合わせるために懸命に働いた。
彼は単なる取引先ではなく、共に戦った戦友だった。
そんな彼とは今でも連絡を取り合い、時々会う。
昨晩も半蔵門駅近くの、彼行きつけの蕎麦屋で旧交を温めた。
私は62歳、彼は58歳。思い出話に花が咲く。
あの頃は体力的には厳しかったが、不思議と精神的には充実していた。
思い出は美化されるものかもしれないが、確実に成長していたことは間違いない。
当時は、いわゆるパワハラも珍しくなかった。
しかし、それは上司の愛のムチとも言えるもので、私も数々の無茶振りを経験した。
例えば、情報がほぼない状態でイベントのポスターを翌日までに作れと言われたり、
2万通を超えるダイレクトメールを明後日までに発送しろと命じられたりした。
それでも、写真撮影からデザイン、印刷までを自分でこなし、何とか仕上げた。
無理だと思う仕事に挑戦し、自分の限界を超えたからこそ、成長できたのだと思う。
コンフォートゾーンを抜け出さなければ、人は成長しないことを身をもって知った。
今の時代、ハラスメントという言葉を盾に、コンフォートゾーンを超えることを避けることができる。
しかし、自分の能力を少し超えた環境に身を置き、背伸びし続けることが、成長につながるのではないか。
それによって、ストレス耐性やレジリエンス(逆境に立ち向かう力)が養われる。
私の周りの若者を見ていると、困難を避け続けているように感じる。
その結果、ストレスに対する耐性が低くなってしまっているのではないか。
人口減少による日本の衰退は避けられないが、その中でどう生き抜くかが重要だ。
衰退する環境に身を置くことは、生活の厳しさを増すことにつながる。
だからといって、人生を諦める必要はない。
どんな厳しい状況でも、「なにくそ!」と踏ん張り、努力を続ける力を持った若者を育てたい。
幸いなことに、若手社員向けの勉強会の講師を依頼された。
それが、私の想いを実現する場となる。
頑張ろう。