やりたいことをおさらい2〜アートに照準を合わせるまで

頭の中がこんがらがってきたので
整理を兼ねて、アウトプット。
わたしのやりたいこと、なんでこの発想に行き着いたか。

前の投稿からの続きです。が、ここだけでも意味は通じるように書きます。

私の思春期からのテーマは
自殺したいほど苦しい人の
苦しみを軽くする方法はないのか?
というようなことでした。

同時に、人生の意味とは?
一度脱線してしまったら、やり直しがきかないのか?

もっと寛大な社会を作るには?
なんてことも考えていました。

私が思春期の頃に
父は、精神を病んで仕事ができなくなりました。
要はそんな父を肯定したかった。
父の人生を肯定したかったんです。
そこが発端です。

仕事ができなくなったら、
社会の役に立たなくなったら
その人は価値がないのか?
そんなわけない!

それを社会に認めさせたかった。
歩み寄る社会を作りたかった。

とはいえ、その方法は、その頃には分からなかった。
それに、思考の発端はそこにあるとはいえ
そればかりを考えていたわけじゃなくて
大学の学部は全然関係ないところにいったし
ファッションを楽しんだり恋をしたり色んなところを旅行したり
私は私で人生を楽しんでいた。

家族のことはいつも頭の片隅にあったけど
普段は忘れていられる調子の良さが、私の長所でもある。

その頃の私の趣味となっていたのが
「ブログを書くこと」「美術館にいくこと」の2つだった。
友達と文通をしていて(あえての文通、が楽しかった)、その友達とブログも書き合いっこしてて
言葉をこねくりまわして自分の考えを発信するのが好きになった。

美術館は、もともと空間としても好きだし
絵を見るとワクワクして、私も頑張ろーって
パワーをもらえる気がしてた。
知識はないけど、色んな作品を見て
「この絵が何で評価されてるの?」って考えたり
「絶対ここ、手抜いたよね?」とか突っ込んだりして、すごく身近に感じていた。

その頃、日本でも障害者側の視点から
アール・ブリュット(アウトサイダーアート)が注目されていた。
精神病患者らのアートが評価されるという事実は
私にとっては天地がひっくり返るほどの衝撃で
私の長年の問いの答えになるように感じた。

それで、アートに焦点を合わせた。
それでも、私にとってアートは鑑賞の対象で
表現手段は文章だった。
その状態が15年くらい続いた。

疲れた。また続き書きます。

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