デミアン

著者:ヘルマン・ヘッセ

あらすじ

10歳の少年シンクレールは裕福で清潔な家庭で育つ。カトリック的価値観の中には禁欲など、人間の持つ生物的な、醜い一面を禁じる教えがある。シンクレールは貧しい人々との接触や自らの成長によってこの悪の側面と親密になり、生家のもつ清潔な光との両立に悩む。大人びた友人デミアンは彼を助け、導いていく。シンクレールが思い悩みながらも様々な指導者、時には自身から湧き出るイメージに導かれながら自分になっていく。

印象に残ったセンテンスなど

珍しい物語や変わったことばに注意を向けるには、隣席のデミアンのひと目で十分だった。
生活されるような思索だけが価値を持つのだ。
夢見る絵筆で、線を引き、画面を満たしていくことに私は次第に慣れた。
ぎゅっとあたたかく、しかも冷ややかで男らしかった。
私たちの内で働いているのと自然の内で働いているのとは同一不可分な神性である。自然界の一切の形成物は、私たちの内部に原型を持っており、永遠を本質とするところの魂から発しているからである。
あなたが話していることはひどく古本くさくていけませんよ。
新しい神々を欲するのは誤りだった。世界に何らかあるものを与えようと欲するのは完全に誤りだった。目覚めた人間にとっては、自分自身を探し、自己の腹を固め、何処に達しようと意に介せず、自己の道を探って進む、という一事以外にぜんぜん何らの義務も存じなかった。
運命をのみ欲するものは、手本も理想もいとしいものも慰めとなる物も持たない。

感想

精神に衝撃を与えブック。ヘルマンヘッセというと、国語の教科書に載っていた少年の日の思い出しか知らなかった。あとは読んでいない車輪の下とか。なんだか少年期を描いたものが有名っぽい?確かに優れた作品だった。早熟な少年の等身大を見せつけられる。等身大という言葉には、やや矮小化のニュアンスがあるけれどもここではむしろ過小評価された少年の精神性を、その体の枠組み限界まで張りつめて描いている。作中でも少年の精神を舐めるなと描いているし、その点は非常に鋭い視点だと満足した。そして、その早熟で発達している精神が直面する、外界との軋轢たち。ここを読んだ元・早熟な子供たちは強い共感に呑まれるだろう。そうだった、どんなに難しいことを考えて悩んでいても子供ゆえに経験のないことは失敗するし、未知の恐怖や誘惑には負ける。負けたのだったと思い出す。私などはそのまま道を逸れたり気まぐれで戻ったりしながら、大衆と迎合したりしなかったりしたのだけれど。シンクレールの場合は家柄が非常に清潔で、時代柄キリスト教的価値観も根深いため、実家・性欲という年頃の男子を縛るものベスト2に苦しめられてしまう。ただ彼の場合はデミアンやピストーリウスという指導者に出会いバランスをとっていくのだが。
シンクレールが成長していくと、自己への到達が主題となる。様々な指導者に出会う中で警句も多く登場するのだが、強い印象を受けたのは創造・自己探索に関するセンテンスだった。これらの思索法に関して、実際に生活化してみるのも魅力的だと感じる。だがそれ自体が古本くさいのかも?という悩みもある。

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