デジタル依存の要因はネットサービス
はじめに
世の中にスマホが普及したことにより、「スマホ依存」「ネット依存」が問題になっている。サービスの観点からは「SNS依存」「動画依存」「ゲーム依存」である。これらを総称して「デジタル依存」と呼ばれている。デジタル依存は自分の大切な時間を失うだけでなく、ひいては心と体の健康を脅かす可能性があり問題視されている。
デジタルが好きな自分としては、デジタルが悪者のように扱われていることが気になった。そこでデジタル依存の要因を時系列に整理した結果、悪者はネットサービスであることに至った。それなら「ネットサービス依存」と呼べばいいのに。
デジタル黎明期
スマホが普及する前、いやもっと前のネットがなかった時代(約30年前)にもデジタル依存は存在した。当時「パソコンオタク」と呼ばれた人たちがいた。彼らがデジタル依存の草分けと言えるだろう。
しかし彼らは、現在のデジタル依存のように自分にとって本当に大切な時間を失い、あげくは精神が病んだりはしなかった。パソコンオタクは、むしろリア充を極めていた。それは自分の本当にやりたいことに集中できていたからだろう。
パソコンは自分でパーツを選定し組み立てていた。自分でソフトウェアを開発する者もいた。パソコンオタクが一般人からキモいと言われる一方で、本人達は活き活きとした生活を楽しんでいた。このことから伺えるようにネットがなかったデジタル黎明期のデジタル依存は精神的に健全だったと言える。
デジタル過渡期
インターネットが普及する前に、電話回線を使ったパソコン通信の時代があった。パソコンのデジタルデータをアナログデータ(音)に変換して電話回線で送受信する。接続時に「ピーガーヒョロヒョロ」という音がいかにも通信しているという実感がした。
パソコン通信は深夜時間帯しか使っていなかった。パソコン通信は自宅の固定電話を占有してしまうので、家族が寝るまでは電話は使えないこともあり、深夜時間帯に通信料金が定額になるテレホーダイを利用していた。
パソコン通信サービスのひとつであるNIFTY-Serveのパソコン工作フォーラム(FDEVICE)に、教育マイコン研究会で発表したTRNジュニア(ワンボードマイコン)のプログラムを公開場所にアップロードしていた。また、情報収集としてパソコン工作フォーラムの掲示板のテキストデータを深夜時間帯にまとめてダウンロードして、紙に印刷して通勤バスの中で読んでいた。
この時期もリア充を感じていたので、精神的に不健全な要素はなかった。
デジタル成長期
現在ではインターネットが普及し多くのネットサービスが生まれた。ハードウェアの主流はパソコンからスマホに移った。スマホによりネットに四六時中つながった。そしてスマホの普及により多くの人々がデジタル依存になってしまった。
現在のデジタル依存の要因の本質はスマホやネットではない。下図で示すとおり「ネットサービス」である。ネットサービスは、高性能なハードウェアと多機能なソフトウェア、そして高速・大容量通信ができるインフラを利用して広告ビジネスを展開している。
多くの人々はネットサービスの餌食になっている。無料のネットサービスに自分の時間とトラッキング情報を奪われている。トラッキング情報により興味のある商品の広告を見せられる。広告リンクをクリックして衝動的に商品をポチってしまう。
ネットサービスに大切な自分の時間とお金を奪われている。それを自覚していてもやめることができない人が多い。これが依存症である。
自分はパソコンが好きなのでスマホはほとんど使わないが、コロナ禍で部屋にこもるようになり、一日中iMacを触っていた。この時からYoutubeをよく観るようになった。最近、大切な自分の時間を奪われていることに気がつき、Youtubeはほとんど観なくなった。
SNSに大切な自分の時間を奪われていることに気がついているが、やめる勇気がない人が多いようだ。わたしも過去にTwitterを使っていたことがある。他人からの承認欲求よりも自分と向きあう時間の大切さに気がついてやめた。
おわりに
自分のようにスマホをほとんど使わないパソコン派であっても、ネットサービスは自制をして使わないと依存症になる危険を感じる。ネットサービスは欲望に流されず必要最小限に使うことが大事である。