ズボラ母ちゃんの中学受験記 #9 『中受は親の受験?』
こんにちは
今日もありがとうございます。
今日は、元も子もない話をしようと思います。(え?)
母ちゃん、ずっと悩んでることがあります。それは、
「そもそも中学受験をさせるかどうか」
です。
は?今更?腹括ったんじゃないの?
と、お思いでしょう。私もそう思います。
もう少し正確に言うと、「こんなに勉強させるかどうか」迷っております。
はあ、親子で中受と言う茨の道に
真っ直ぐ進んでいける家族が時々羨ましくなります。
我が家は、クリアしたはずのステージに戻っては、コインを集め直したり、同じボスと何度も戦ったり…そんな行ったり来たりの道でございます。
なんで中学受験は「親の受験」と言われるのか。
分からなくはない。でも、試験を受けるのは本人たちだし、中学に行くのも本人たちだし…。もうちょっと本人たちに実感が湧いてきてから、受験して何をしたいのか聞いてみては遅いのか。
自分の人生を想像する力さえあれば、もっと学年が上になってからでも遅くない気がするよなあ。
いや、遅いよねー。そんなに甘くない、中受。
※ただいま、心の声をダダ漏れさせております。ご了承ください。
なんか与えすぎてる感じがするんだよなあ、失敗のチャンスを与えるってよく考えたらおかしくない?自らチャレンジしたことに失敗してもまたチャレンジすればいいってことは、実感して欲しいけど、それを与えられた環境で用意されたことをやっていて意味があるのか?そこに学びはあるのか。
ああ、そうか。だから親の受験って言われるのか。
「やらされている」と思わせるのか、「チャレンジしている」と思わせるか
それが親の腕の見せ所ってわけね。 そんなマネージメント、ズボラな母ちゃんにもできるだろうか…。
急に寒くなって、ちょっぴりおセンチになりながら、そんなことを行ったり来たり考えては、丸付けに奮闘している母ちゃんでした。