見出し画像

[気づきの日記帳01]いわゆる「いい企画」的なるものを形にすることからの脱却

[社会人2〜3年目の気づき]

企画という仕事が扱いにくいのは、その実態と全体像がわかりにくいこと。企画を仕事にすることに憧れを持って会社に入った人間であっても、自分のどんな能力が問われ、どんな技術を磨いていく仕事なのかはよくわからないものです。一般大学卒で企画の仕事に就いた者には、企画会議的なるものを授業でやった経験が少ない者も多く、その闇は一層深い。何を考えればマルなのか、何を出せれば正解なのかがなかなかわからないままに、ただただ闇雲に数を出すしかない時期を過ごす者も多い。残念なことに、その悩みに明確な答えを提示してくれる研修や環境も少ないのが現実。優しい先輩や上司といえども、その悩みにはっきりとした答えを提示できるようなシンプルな言語化がされていない領域でもあるです。そのため、多くの20代ヤングは、悩みの底で伸び盛り時期を過ごしている者も多い。

福田はまさに、それでした。広告会社に入社してから1年経っても考えた企画がまったく採用されず、どうしていいのかわからない悶々とした時期を過ごす1人だったのです。どうすれば課題に応えることになるのか、上司のお眼鏡にかなうのか、もらっている給料に見合った仕事ができるのか。まったくわからず、ともかくいろいろ考え、量を出して「数うちゃあたる」的なプランニングで誤魔化していました。毎日2〜3個あった企画会議に向けて案出ししていたわけですから、週に100案、月にすれば400案、年間では5000案ぐらいが、なんの役にもたたないまま捨てられていたのだと思います。これほど頑張ってもこれほどに役立たずであることは、相当なショックであり、自分のプライドはズタズタになっていました。今にして思えば、その1年半で、よく挫けて会社を辞めなかったものです。

自分は、広告マニア的な人間でした。学生の頃から、その知識とセンスで一目置かれる存在でもあったし、そこに誇りも持っていました。どんな広告がイケテるかと聞かれれば、時代的ヒット広告の中からマイベストにあたる作品を理由とともに明確に答えることもできた。なので自分は、広告に関する一定レベルの思いと知識と美学が評価されて、採用されたのだと信じていました。その知識とセンスが、これからのクリエイター人生を支えるものと信じていた。思えば、そこに大きな問題があったのですね。

「いい広告」「憧れの広告」を強く心に抱く20代若手プランナーは、そうして心の中に格納された「いい広告」「憧れの広告」的なるものを形にすることがすごい企画を立てることだと信じて疑っていなかったのです。企画会議のたびに自分が提出する、今時なる広告企画の匂いのするアイデアは、きっと上司を驚かせるに違いないと信じていたのです。「君は一流の広告を知ってるねえ」「君は若いのに美学があるねえ」。そう褒められるものと確信していたのです。恐ろしいことに。

「いい広告」とは、当然そんなものではないわけで。ブランドや商品の課題と真正面から向き合い、その時代的意味やターゲット的な意味を考えながら自分オリジナルな設計図を組み上げていくものです。その骨組み無くして、表面的繕いだけが時代的なふりをしていても、その企画には、採用すべき理由が存在しない。そのことに気づくのに、1年半の時間を要したのでした。

20年間にわたり教鞭をとった美大の中にも同様に、自分がいいアイデアと感じてきた憧れの企画みたいなものを考えたくなる傾向、そしてそれを思いつくと、そのアイデアのことばかりにが気になって他の企画が考えられなくなる傾向が存在します。美大生の場合は、ビジュアルに落とし込み美しく仕上げるスキルもあるために、心の中の素敵な企画を形にしている工程そのものがとても楽しくクリエイティブなものに感じられてしまうので、その沼にはまるとなかなか抜け出せなくなります。それがテーマやお題から乖離していることを指摘しても、もはや思考はそのアイデアありきになっているために、ああいえばこういう状態になって、埒があかなくなります。

福田の私塾の門を叩く若手の中にも、勉強熱心が故に、過去のいわゆる「いいアイデア」事例に詳しくなり過ぎて、その呪縛に苦しんでいる人がいます。考える企画がどれも、過去の「いいアイデア」をなぞったものになってしまい、そのスパイラルから抜けたいと、悩んでいるんですね。「海外の有名なデザイン賞を取りたいばかりに受賞作の事例研究をたくさんやっていたら、賞をとった既存事例をなぞった企画しかできなくなってしまった」「自分のアイデアは面白いとも言われるが、見たことのある企画ばかりだと言われて怖くなった」「事例を意識したアイデアを離れて、ちゃんと課題に向き合う企画方法がわからなくなった」。みんな賢く、真面目な若者です。みんな、「いい企画」的なるものに呪縛されていることに気づければ、そのスパイラルから抜け出せるのです。

「いい企画」的なるものが「いい企画」じゃない。
その気づきは、その仕事が広告であれ、プロダクトであれ、空間であれ、事業やサービスであれ、同様に重要な気づきだと思います。それに気づければ、そのクリエイターは確実に一皮剥けられる。そのことを信じて、自分の企画スタイルを見直してみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?