私が思う、1544字
性衝動を抑えれるか、否かで考え方も変わるのかな?
ロリコンはお互いの同意があっても難しい課題やしね。
「そんな人もいる」けど「そんな人もいる」で済ませられない。
過去に私は「少年(あるいは男性)の足が好きなおじさんに、足を舐められた」話を書いた事がある。
フィクションにしないと色々面倒な事が多いからそうしたが、私が体験した事(もっと肉体的な事だったので書き換えている)とその時の疑問を書いている。
小説だけで5000文字あるので、目次から飛んでください。
この手の話はリアリティを無視してはいけないと思うので、当事者の感情は私が感じた事や疑問をそのまま書いている。
私の考え方は性癖としては肯定派に近いが、擁護は出来ない、当事者の意見です。
しかもかなりズレてます。
noterの方が朝井リョウさんの著書「生欲」を教えて下さって私も読んだ。
正しい性欲とは何か?について書かれている小説で、私自身は特に変わった性癖を持ってはいない(と思っている)が、考え方が人とかなりズレているので共感できる部分がほとんどだった。
作中にロリコンの事も書かれていて、自分もこういった体験があるのでとても興味深く読ませてもらった。
私自身が今でも悔やんでいるのは、私に加害を加えた男性が、然るべき処置(この場合、性衝動を抑えるための治療)を受けさせてもらえたのかが気掛かりで仕方ない。
ムシャクシャしてたり、八つ当たり的に児童を狙ったのではなく、私に加害をした男性は、恋愛の対象年齢が小学校低学年の女の子で、悪意というより、衝動が抑えきれなかったから。
殴ったりするような暴力もなく、終始謝りながら泣いていた。
彼の行動に疑問を持って考え込んだ私が無抵抗だったのが幸いしたのかはわからない。
そして私はこの性加害がトラウマでもないし、だから自分がどうだとも思っていないし、ただひたすら「なぜそんな事をしてしまったのか?」それだけが気になったままでいる。
なのでカウンセリングも神のご加護も入りません、健康な心ですくすくババァになってます!
私の心が健康な理由は「自分ごと」で考えたからでしょうね。
「許してはいけない」けど「許せない」と突っぱねる気持ちが無いのです。
だって、どう考えても私よりこの人の一生の方が大変だろうと思ったから。
私は被害者として守られますから、気の持ちようでどうとでも生きれる。
自分だっていつ同じ立場になるかは分からない。
どこにその性癖が潜んでいるかは分からないし、それに気がついていないだけかもしれない。
人は、人と違う個性を欲しがるのに、こう言った個性には反発して、理解しようとしない。
もちろん許せない事だし、子を持つ親は考えたくもないだろう。
でも、もしも我が子がそうであったら?
旦那が、自分が、家族が、親しい友人が、と考えていったら、どんなに苦しんでも理解しようとするはずだ。
当事者じゃない人の意見に流されて、自分の言葉を持たない人が多くなった昨今、きちんと自分の考えを持った方がいいと思う。
自分らしく生きることを良しとしながら、加害者の心を無視するのはどうだろう?
本当の幸いは、どこにあるんだろう。
もっと上手く何か出来ないのか?と悩ましい。
そうしないと、被害者も増え、ずっと被害を受けた「あの日の自分」が報われずに苦しむだろう。
こう言った内容は記事であげるより、直接話す方が遠慮なく意見を出せていいよね。
私自身もずっと疑問で、色んな意見を聞いたみたいけど、言葉を選びすぎてまとまらん。
それこそ上手に小説に出来たらと、日々奮闘してる。
人権を語りながら、犯罪に至る恋愛しか出来ない人の本当の苦しみを無視するのは悲しい。
「人の痛みを知ること」が本当の多様性だと思うから。