ARIA The BENEDIZIONEの感想(ネタバレ薄め)
【はじめに】
ネタバレしないように感想を書いてみます
「アニメを超えたドラマとして素晴らしい作品」
といっても過言ではないので、物語の構造とか画面の作りとか「竜とそばかすの姫」に匹敵するくらい語りたいことがあるけど、ネタバレに直結しそうだから来週のスタッフ公演が終わるまでは自重します
物語の概要は公式のロングPVを見てください
イラストも描いてみたよ(例のごとく荒いけど)
劇中で一番印象に残った過去の回想シーンの「藍華と晃」を描いてみたよ。ミドルスクールの藍華、可愛いけど描くのは難しいぞ。
閑話休題
今回は今年見たアニメ映画、「ガンダムGのレコンギスタ劇場版3(Gレコ劇場版3」、「竜とそばかすの姫」と比較してみてARIA The BENEDIZIONEを語ってみるよ。これならネタバレ薄めであれこれ語れる。。。多分。閃光のハサウェイ?うーん、ARIA The BENEDIZIONEで描かれた「闇夜のネオベネツィアの水路」を見た後だと、やっぱり、ラストの「夜間戦闘のわかりにくさ」は言い訳できないよ、とだけ言っておきます。リアル路線で行けばいいという物じゃないはずなんだけどね。
【Gレコ劇場版3との比較 箱庭の世界から飛び出すのか受け継ぐのか】
[GレコもARIAもファンタジー]
ARIAもGレコもファンタジーです、そこは物語の根幹として共通しています。Gレコはガンダムだから「リアルロボットじゃね?」という人、富野監督は「リアルロボットものだと現実の問題は描けないからファンタジーにした」と言っているので、Gレコはファンタジーです。私もGレコのTV版第一話をみて「西の善き魔女的世界観」だと認識したので富野監督の言い分はまぁ、納得しています。で、ARIAはまごう事なき「ファンタジー」ですね、これは作品を見れば一目瞭然だしサトジュン監督もARIAのアニメ化に当たって「ARIAの世界観は現実にはないユートピアである、だからこそ私たちが忘れたことを思い出させるし、アニメ化する意義がある」と述べています。GレコとARIAって一見すると真逆の作風に見えますが、「ファンタジーの世界観を通して現実の世界に欠けているものを描く」ってところでは共通しています・・・・
[箱庭の世界を受け継ぐのか飛び出すのか]
で、Gレコ劇場版3でもARIA The BENEDIZIONEでもファンタージ世界、「箱庭の世界」で生きている少年、少女を描いているわけですが、「箱庭の世界の掟、価値観」で苦しむ姿も同時に描かれています。Gレコでは「ガンダム(Gセルフ)」、「ARIA The BENEDIZIONE」では「ゴンドラ」という作品のキーアイテムを通じて語っているのがいいんですよね。で、両作品に出てくる少年・少女は一方は「箱庭の世界から飛び出して外の世界を旅する」決断をし、もう一方は「箱庭の世界を受け継ぐ」決断をします。彼らが下した決断の詳細は両作品を見てください、その過程も含めてめちゃくちゃ面白いから!
【竜とそばかすの姫との比較 呪いと母親】
まず、「竜とそばかすの姫」なんですけど、巷では「バーチャルの世界を通じて自己実現をする」っていう人が多いけど、それって話のほんの一部であって全部ではないよね。「自己実現」ならすずがBelleとなった直後にそれが達成できているって描写があります。
じゃ、どんな物語だったのか?というと「すずが<Uの世界>でBelleとして他者に愛を与えることで自分もまた他者から愛を与えられたことを知り、<歌を憎む>という自分に課した呪いを解く」じゃないかと思っています。で、すずに愛を与えたのは誰かいうことは「わかりやすい言葉」で説明はしていないけど、しのぶだよね。これはルカが
「しのぶくんってすずちゃんのお母さんみたい」っているセリフと、<Uの世界>ですずが自分の身を晒して「心のままに」を歌う場面での「過去のトラウマがフラッシュバックする」シーンからもわかる。一方、「ARIA The BENEDIZIONE」でも「竜とそばかすの姫」と同じ物語構造が使われているわけです。藍華は「レジェんとゴンドラは呪いだった」と「呪い」というキーワドをはっきり口に出すし、晃がしのぶに対応しているってこともわかりやすく描写している。「竜とそばかすの姫」がわかりにくいと感じている人は「ARIA The BENEDIZIONE」を見ると話の内容がより理解できるようになると思う。で、晃なんですが、「竜とそばかすの姫」のしのぶがすずにとっての「母親」だとしたら、藍華にとっての晃もまた「母親的な役割」を担っていたんだなーと、思いつつ鑑賞してました。試練を乗り越えた後のすずにしのぶがかけた言葉と、プリマに昇格した時に晃が藍華にかけた言葉が全く同じだったのは偶然なんでしょうかね?
あ、「母親」というキーワードは結構、重要なんで、節を分けて描いてみます
[母親というキーワード]
母親というキーワードは「竜とそばかすの姫」では重要ファクターだったけど、「ARIA The BENEDIZIONE」でもまたそうですね。今作では藍華の母親(愛麗)が姫屋の総支配人(クィーン)として登場します。愛麗と晃がやりとりするシーンてそれほど多くないのですが、その少ないシーンで二人が見せる所作とかセリフで愛麗は晃に対して深い信頼関係があるってわかって心が熱くなりました・・・。そんな深い信頼を置いている晃だからこそ、直接的な言葉では口にはしませんが「藍華の母親的な役割を担ってほしい」と示唆しているわけです。つまり、愛麗はクィーンとして他のウンディーネの手前、母親的な役割を全てすることはできない、だから一人の人間として藍華に接してほしいと言っているわけだし、聡い晃はクィーンの意図を察して「わかりました」っていうんですよね。いやー、短いシーンでこんな濃厚なやりとりが見れるのはARIAならではだなーと。
【最後に 社会性を持ったアニメはとても面白い】
これは個人的な感想ですが
「ガンダムGのレコンギスタ劇場版3」
「竜とそばかすの姫」
「ARIA The BENEDIZIONE」
も「この現実世界に欠けている大切なものを描く」
って点では共通していています。
これはGレコの富野監督が
「アニメは社会性を持たなければならない」
という哲学を持っていて、佐藤順一監督も細田守監督も富野監督の哲学を受け継いでいるんですよね。だから、これら3作品はどれも好きだし、いつまでも大切に見続けたい作品でもあります。