「異常」という難しい問題
※個人的な感情や考えが大半です ご了承ください
まず、結論何が言いたいかというと
・「異常」という一言で表すのはどうかということ
・簡単に少ない情報、自分の主観で相手を傷つけてしまいかねない言葉を口にすること
・もっともっと寄り添い合っていけないものなのか
です
「あれは、異常だよ」
そんなことを町中で聞いた
また、「普通でよかったー」というのも聞く
個人的にだが「異常」というのは
ある基準を定めてそこからはみ出たら異常、その基準に収まっていたら普通という偏差値的な考え方だと思う
そうでないとしたら矛盾する
だって、そもそも何を異常とするかが存在しなくなるから
だから基準(正常、普通)があって異常が存在する
さらに言えば、正常な状態から異常に変わるのだから、、、
じゃあ基準は何なのか?ということである
社会が社会的であるために人間が設けたものが基準だと思う
どういうことかというと
はみ出した行動をされると社会が正常に機能しなくなるから異常という言葉を用いてはみださせないようにさせるもの
出る杭は打たれるのようなイメージ
例えるなら学校で体育館に集まって校長先生の話を聞くとしよう
2列などのまっすぐきれいに整列して体育座りなどで話を聞くと思うが
ここで何人か列をみだしたり、寝たり、姿勢を崩すものがいたとしよう
するとどうなるか
列がきれいにできないばかりか
校長先生の話を聞くという目的が達成されないのである
だからこそ、その行動が悪い、異常だといって
行動を意識的に抑え込むようにしている
そうすれば学校という社会がきちんと動いて目的が達成される
社会的にどうかだけならまだいいだろう
もっとよくない考え方がある
「自分と比べてその人は異常」という考え方
そういう考え方が人を弾圧したり、自分目線になったり、いじめにつながったりすると思っている
「あの人は異常」というのは確実に自分は正常だという認識じゃないと発言できない
ただその基準は「社会的」であって「人間的」ではないということ
基準を定める位置が違えば異常かどうかも変わってくる
ましてや、自分も異常かもしれない
それが正当化できないから「あの人は」というふうに言う
もっと言うと「あの人」に言わせれば「その人」は異常なのである
結局何が言いたいかというと
・「異常」という一言で表すのはどうかということ
・簡単に少ない情報、自分の主観で相手を傷つけてしまいかねない言葉を口にすること
・もっともっと寄り添い合っていけないものなのか
ということをただ言いたかったのです
自分も主観、偏見で話をしてしまうし、軽率な言葉で人を傷つける
知らないところで傷つけてしまっていると思う
ただ、考えて考えて簡単に片付けないで
できる範囲で努力したいと思う
そうしないと自分にも周りにも失礼に感じてしまうと思うから
この苦しい気持ちをただ気持ち悪いまま見て見ぬふりそのままにしておくようなものだから
社会を生きている中で色んな問題がたくさんあると思う
そこから目を背けないで、自分に直接できることはなくても
考えることだけはしっかりとしていきたいと思う