如月理有

如月理有

最近の記事

アメリカの記憶

東京の小平市に生まれた私は、2歳のときにアメリカに渡ることになる。 理由は、父の転勤である。 父はアメリカの大学を出た後、すぐに日本の製薬会社に就職をした。 (就職と、私の誕生はほぼ同時であったそうだから、父の生活は激変だっただろう) その製薬会社で父は、入社の時点から、アメリカへの転勤が期待されていたようだ。 父はどうやら、完璧主義者だったらしい。 仕事においても、絶対にミスはしない、落ち度を作らないと、常に緊張感を持っていた。(母から見て) 父は仕事人間で、私たち姉妹

    • 医者の息子の父と、ミュージカル俳優の母

      これは自伝である。 私は東京の小平市に生まれた。 その時、父は製薬会社の新入社員で、母親は劇団の俳優を辞めたばかりであった。 まず、父と母について話そうと思う。 父は、どうやらエリートな育ちをしていたようだ。 小学校受験をして国立の筑波大学附属小学校に入り、そのまま高校生まで内部進学の競争を勝ち抜いている。 父の父(私からみた祖父)は医者であり、父の祖父(私から見た曾祖父)も医者という、代々医者の家系であったため、父は生まれながらにして医者になることを期待されていた。

      • 私の前世が犬だったら。

        土を踏み分ける音を察知する。うたた寝から目覚める。 ざ、ザク、ざ、ザク。 この、左右で土の踏み方に違いがあり、一歩一歩に重みがある音は、間違いなくご主人のものだ。 リヌは耳をピンと立てると、鼻を空中に向けて匂いをかいだ。かすかに漂う、それはリヌが世界で一番好きな人の匂い。 ご主人が帰ってきた! はやる心と、まだ眠りから目覚めていない体に活を入れるため、リヌは地面に丸めていた身を起こすと、前足を伸ばして、うーんと伸びをしてからぴょんと立ち上がった。そして、ゆったりと尻

        • ホームレスの墓場と女装と宴

          夜の闇に乗じると、この世とあの世の境目の境界は曖昧になって、向こう側へ行くのは案外簡単だったりする。 ------------- 真夜中の2時。 「やっと着いたな」 ため息交じりの声に疲れをにじませて、男はハイエースを何度も切り返して狭い駐車場に停めた。 古びたホテルの駐車場だった。 「お前らはここで寝ていろ」 男たちはコンビニ袋に入ったいくつかの食料をかき集めて車から降りる。 私はぼんやりしたまま、そのガサガサというポリ袋が擦れる脳天に刺さるような音を聞いている

          まだ男がスカートを履けなかった時代のことさ。

          「まだ、男がスカートを履けなかった時代のことさ」 おじいちゃんの話はいつも長い。 脈絡なくダラダラと続く話を聞いているのは結構楽しかった。 けれど、とっさに私はそのおじいちゃんの話を遮った。 だって、その言葉をスルーできなかったから。 「ちょっと待って、何それ。スカート履けなかったの?」 「そりゃそうだよ」おじいちゃんはさも当然のように言った。 「スカートは女性のものだと思われてたんだから」 それは、昔、そういう時代があったことは私も知ってるけどさ。 私は口をとが

          まだ男がスカートを履けなかった時代のことさ。

          私が死んだ記憶

          ああ、死んだな、と悟った。 電車で席に座っていた。 奥の方の車両から、悲鳴とともに何か破裂音が響いた。 その音はこちらに近づいてくる。 すぐに私たちの車両にやってきた。 それは中年のよれた服を着た、覇気のない男と、その手に握られたライフルだった。 電車はちょうど駅に停車中だった。 私は隣の友達のことを意識しながらも、何も考えずに立ち上がり、電車から降りようとした。 みな逃げ出すだろうとタカをくくっていたのだ。 しかし、実際には、みな席を立つことなく、座って目を合わさな

          私が死んだ記憶

          異常

          パンツ洗ってください事件は、私が図書館の男子トイレに駆け込んだことから始まる。 目が悪い私から見える世界はぼやけていて、男子トイレと女子トイレの入り口を間違えてしまったのだ。 男子トイレの入り口から入ったときに、洗面台で手を洗っていた子の落し物に気づかず、私はそれを踏んでしまった。 けれど、私は踏んだことに気付かなかったふりをして、無視をした。踏まれたその子もどうせ気がついていないだろうと思ったのだ。 ところが、どうやらそれは私の勘違いであったらしい。 図書館の出口を出よ

          初産

          未熟児を一週間放置したのは誰か。 それは私です。 ——————— 妊娠していることに気が付いたのは、どうしようもない吐き気が襲って来た時だった。 これまでも何度か気持ちが悪くなっては、つわりの思い違いだったことはある。しかし今回のはこれまでとは違った。これまでにないくらいに、腹の中が気持ち悪くてよじりだしたい気分だった。 ああ、これがつわりというものなのだと私は思う。 腹の中に宿った新しい命を、異物と判断して、排除したくてたまらなくなるという不思議な生理現象。 女性は

          傷ついた子猫

          男は少年を探していた。 紛争の流れ弾に当たって、人知れず亡くなってしまった少年。 男が河原に座って風にあたっていると、ふらふらと子猫がやってくる。 ————— ある男がいた。いささか不機嫌な様子である。 彼はグラスを傾け赤いワインを口に含んだ。 正面には、今日会ったばかりの女が座っている。女はステーキをナイフで切ると、上品に口元に運んだ。 「ええ、その子のことなら覚えています。道端で倒れているのを見かけましたわ。浮浪児で——まぁ、浮浪児なんてあの辺りではめずらしくもなん

          傷ついた子猫

          雪道

          青い髪の先住民である霧峯と、征服貴族の私。 私たちは明日、学校をいよいよ卒業する。 毎日のように並んで歩いて来た雪道を、ふたりは歩いている。 ——————— 昨晩降った雪が、道に白く降り積もっている。街灯の光に反射してキラキラと光っているそれのせいで、いつもの道がまるで知らない道のように思えた。 私のブーツに踏みしめられた雪がサクサクと音を立てる。そこに、もう一つの足音が重なるように音を立てていて、しかし重ならない。私はふと顔をあげ、いつもと少し違う、なんだか新鮮な感覚

          放火

          少年は放火をする。 難民である流河の民の貧しい家に。 そしてそれは、少年たちの些細な遊びの一つでしかないのだ。 —————————— パッと放った。 火のついた枝は一直線に空を切って飛んでいき、するりと煙突の中に吸いこまれた。先に放り込んでおいた少量のガソリンに引火し、煙突は衝撃音とともにごうっと火を吹く。 俺はそこまで見届けると、背中越しに後ろの仲間たちを振り返る。口には出さずとも、それだけでお互いの気持ちは手に取るように伝わった。快感が背中をすりぬけてぞくぞくと背骨

          井の中の蛙

          ここは小さな井戸の中。 土の匂いがして、 空は丸い穴からのぞくもの。 それで全てだと思ってた。 蛙は目をつむり、考える。 彼には 未来への希望がある。 現在の窮屈がある。 過去からのお土産物がある。 小さな幸福がある。 ささやかな絶望がある。 そこそこの怠惰がある。 大きな自信と、 大きな不安がいがみ合っている。 前向きに走り出す彼と、 後ろ向きにいじける彼の間で 引き裂かれそうになっている。 「生きてるんだ 死んでいる? ホルマリン漬け 無菌室?」 厳しい現実

          井の中の蛙