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オペラ「夢遊病の女」鑑賞記

連休の最終日、ベッリーニのオペラ「夢遊病の女」を家族で観に行ってきましたので、感想を書いてみたいと思います。


私がオペラを観に行くようになったのは、ここ数年のことで、まだそれほど多くは観ていません。ベッリーニは初めてとなります。

生で聴くベッリーニの曲は旋律が美しく、メロディーはすっと心に入りこんでくるようでした。

このオペラは、夢遊病が引き起こすアクシデントによる愛のどたばた劇ののち、ハッピーエンドになるのですが、終演後、もし結婚した妻が夢遊病だったら、心配で夜もおちおち寝ていられないだろうなと余計なことを考えてしまいました(笑)

花嫁のアミーナ役のソプラノ(クラウディア・ムスキオ)が素晴らしく、とくに最後の方のアリア「ああ、信じられないわ 花よ、こんなにも早くしおれてしまうなんて」は涙なしには聴けませんでした。

このオペラは、このアリアがある意味全てを決めてしまうような肝の部分になっていて、ここで感動できるかどうか、感動させてもらえるかどうかで、公演の価値が決まってしまうのではないかと思いました。


愛や嫉妬を表現するのにベタな言葉が多く、昔ながらのシンプルな愛情表現、考え方、感じ方は分かりやすく、ある意味古くもあり、昔懐かしい感じもしました。


花婿のエルヴィーノ役のテノール(アントニーノ・シラグーザ)は、うまいけれども、もう少し声の表情、抑揚が豊かで繊細な表現力があると私好みだったかなと感じました。


オペラの幕開けは、花嫁のアミーナを取り囲む10人ほどのバレエダンサーたちの踊りで、オーケストラの伴奏のない無音の状態でしばらくは踊りを鑑賞することになりました。

このアミーナを取り囲んで、踊りを見せてくれたダンサーたちは、最後まで重要な場面で出てきます。この演出によって、夢遊病のもつ本人にはどうにもしようがない病性のようなものがうまく表現されていて、分かりやすく、よかったと思います。

主要なキャストの1人、ロドルフォ伯爵役の妻屋さんは、入浴シーンがあり、舞台上で裸で(裸に見える)お風呂に入っている状況が妙に似合っていて、笑ってしまいました。妻屋さん、貫禄の演技と歌唱でした。


アミーナ役のソプラノのアリアは、コロラトゥーラの箇所も多くあり、歌うのはとても難しそうだなと感じました。

当初の配役だったローザ・フェオラから、ムスキオへとアミーナ役が変更になっていました。その理由が「アミーナ役に声が合わなくなってきたとの事情による本人からの降板の申し出」だったとのことで、コロラトゥーラの曲を歌い続けるのが、人によっては難しいことなのかもしれないなと想像します。


「ああ、信じられないわ」のアリアについて詳しく知りたいと思って調べてみたところ、井内美香さんという方が、解説のコラムを書いているのを見つけました。


そこから、井内美香さんってどんな方なんだろうと思って見てみると、著作や翻訳の出版もあることが分かり、その訳書の中に『わが敵マリア・カラス』という本がありました。

なんとこの本、著者があのジュゼッペ・ディ・ステファノではないですか。


カラスと数多く協演しているディ・ステファノがなぜカラスを「わが敵」としているのか大きな疑問と関心を持ち、読んでみたくなったので、さっそく今後の読書リストに加えたのでした。

この本、すでに絶版になってしまっているようで、もったいないような気がします。

[後日訂正]
この本が後日手元に届いて内容を確認しましたところ、著者はディ・ステファノではありましたが、ジュゼッペではなく、マリア・ディ・ステファノ(ジュゼッペの妻)でした。姓だけ記載されていて、勘違いをしてしまいました。
[後日訂正ここまで]



今回のオペラでは、クラウディア・ムスキオが素晴らしいソプラノ歌手として記憶に刻まれました。

そのムスキオによるアリア「ああ、信じられないわ」です。2022年のピアノ伴奏によるスタジオ録音ですので、オペラの雰囲気はありませんが、ご参考までにどうぞ。


翌日、結婚式を挙げる予定だった婚約者を失おうとしている花嫁のアミーナが、夢遊病で彷徨い歩いている夢の中で歌われた本心が、それを目にした村人たちに真実がなにかを悟らせ、無実の不貞の疑いを晴らすことにつながる場面です。


そして、こちらはマリア・カラスによる同じアリアです。1957年と古い録音ですが、オペラからの抜粋ですので、映像はないものの音声からの雰囲気はこちらの方が伝わりやすいかと思います。


ディ・ステファノが登場したりなど、途中、脱線もしましたがオペラ「夢遊病の女」を鑑賞しての感想とご紹介でした。

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