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「#未来の為に出来る事」この記事読まない方が良いかもしれません・・・

こんなボロボロの私でも、時折道端で小銭を拾う時がある。

逆に小銭を落とすときも当然ある。

駅の券売機などで時間ギリギリの時に小銭が勢いよく転がって行く。
それも人込みへ見事に吸い込まれるように転がって行く。
電車は時間ギリギリ。

拾いに行く時間は無い。
五百円玉は大きな痛手になる。一円、五円、十円でも何か非常にくやしい。

そして何かで小銭の支払いをする時「一円足りない」となった時、僕から逃げるように転がって行った「一円玉」を思い出す。


ある日、道端で小銭を拾う。百円玉だ!

まるで、あの日の一円玉が百倍になって帰って来たかのようだ。

百倍はデカい。

「ラッキー!」「運がいい!」「引き寄せの法則発動!」とか言って、

ポケットへ入れるのは簡単である。

しかし、この100円玉は誰が落としたのだろうか?

こども?老人?

「ま、いっか!」

ではない。

100円を落とした子供は親にしこたま怒られているかもしれない。

老人はバスに乗れずに遠くまで歩いて帰ったかもしれない。

たぶん落とした人は「くやしい…」

拾ったは良いが 「心が痛い」

だからといって、お金を拾うたびに大人が1円もって交番へ届けても多分迷惑な顔をされるだろう。

そこで自分ルールを考えた。

「拾った額の二倍を寄付する」一円なら二円寄付する。五百円なら千円。

どん底の私は持ち合わせが無い時がある。
そんな時は忘れないうちに早めに「寄付」をする。
収入があったときには必ず倍返しするという気持ちを持ち続ける。

内訳は拾った「幸運」と落とした人の「気持ち」×2になる。「だから倍」

これが私の自分ルールだ。
バカらしいと思わないでください。

これを読んで倍で寄付出来ない人は、お金を拾わないとします。

出来ない人が多ければ「日本のあっちこっちに小銭が落ちてる国」

小銭がたくさん落ちている国、これもまた、ある意味素敵かもしれません。

これは自分的なルールですが、皆さんもお金を拾った時「落とした人の事を少しだけ思ってあげて下さい」

皆がこの話を誰かに伝える事が出来たなら、
「弱者を思いやる日本はもっと暖かで豊かな国になるのではないのかなぁ」
思うのは私だけかなぁ。

自分が落とした時も善意に使われるなら悔しくない!

倍ルール。

しかし、「百万円拾ってしまった時はどうしよう?」と心配するのは僕だけ?

私のストーリーが、他の人々にも考えるきっかけを与え、「未来のために出来る」小さな善行が広がることを祈っております。

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ジョン ナカムラ
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