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休息することに特化した休みを取れましたか?
自己肯定感というのは、自分の情けないところも愛するということだと様々な本を読んで理解している。そんなに簡単ではないと感じることが多いため、これが高い人は全人類のどれぐらいの割合なんだろうとふと思う。
全人類のほんの何%かのマインドセットをモデルに目指すのって、生きやすさに本当につながるのだろうか。
もしくは、それだけ人類が病んでいるということなんだろうか。
夏の間比較的安定して自分のすべきことに没頭できていたと思う。それが続けばいいのにと思いながらも、頭のどこかでダメな自分の記憶をなぞるように、また思うようにいかなくなるのではないかという不安を無視できずにいた。
そして、予想を実現するかのように、今週の土日は全く何もできなかった。
疲れている可能性はあるけれど、何もできないほどに疲れているとは思えないために、どうしても罪悪感を感じてしまう。
こういう時って本当はどうするべきなんだろうと考えた。
体が疲れている時は当然体を休めるけど、脳が疲れている時は、意外に脳を休めない時間の過ごし方をしていることの方が多い。
例えば、体は動くけど脳は機能停止を求めている時は、SNSのネットサーフィンで、目的があって閲覧しているわけでもないのに、勝手に大量の情報に触れることになっている。
言い方を変えれば、せっかく建設的な事ができない脳を休めるタイミングなのに、十分な休息を得られていないなんて、自分は愚かだとしか言いようがない。
せっかく休むしかないなら、休むことに特化した過ごし方をしたほうがいい。
週末が終わろうとしている今それに気づくなんて残念でしかない。
まあ、次にそうなった時にこの教訓を生かせるように、この思索を忘れないようにnoteに書いているのだけど。
明日はまた仕事。
ぼちぼちボルテージ上げていきますよ。
でもその前に、今夜はゆっくり睡眠。
SNSはやめて宇宙に想いを馳せながら。