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物の哀れ

心無しと見ゆる者も、良き一言、言ふ物なり。或る荒夷(あらえびす)の恐ろしげなるが、傍(かたへ)に会ひて、「御子(おんこ)は御座(おは)すや」と問ひしに、「一人も持ち侍らず」と答えしかば、「然(さ)ては、物の哀れは知り給はじ。情け無き御心にぞ、物し給ふらんと、いと恐ろし。子故にこそ、万の哀れは、思ひ知らるれ」と言ひたりし、然も有ぬべき事なり。恩愛の道ならでは、かかる者の心に、慈悲ありなんや。孝養(けうやう)の心無き者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。

兼好法師「徒然草」

現代語訳:「親孝行の心の無い人であっても、子をもってこそ親の気持ちを知ることができるのである。」

個人(私)の感想:

「いや 別に変わんないと思うぞ?」


ちなみに私の場合はこうでした。

第一期:自分の子供が赤ちゃん~幼児のころ
他人の赤ちゃんや幼児もかわいく見えるようになった。

第二期:自分の子供が小学校低学年のころ
他人の赤ちゃんや幼児もかわいく見えるようになった。
自分の子供でそういう育児をする機会がもうないことに気づき遠い目になる。

第三期:自分の子供が小学校高学年のころ
他人の赤ちゃんや幼児もかわいく見えるようになった。
その一方で「あと何年かするとYoutube系のアーティストの不倫の話とか「金と女」とか「あさぐすり(麻薬)で飛んでおられる」とか言うようになるんだよな」と頭に浮かび若干歪んだ笑みとともに遠い目に略←イマココ

ただ「あさぐすり」とかそういう語彙や「人は人生で本当に大切なことは大体ロクでもないことから学ぶ」とか私が日々言ってるのも確かで略

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