本。縄文文化が日本人の未来を拓く

今日は本の話。『縄文文化が日本人の未来を拓く』(小林達雄、徳間書店)を読んだ。

私という存在が今ここにいるということは、ご先祖様がいたということだ。どんどんどんどんさかのぼっていけば、いつかは縄文時代の人にも繋がる。その時どんな人たちがいて、どんな生活をしていたのか。実際に見ることはできないから本当のところはわからないが、その時代に暮らしていた人たちがいて、その人たちの子孫が私だということは間違いない。

この本では、縄文時代に生きた人たちの生き方、考え方が現代の私たちにも受け継がれているという考え方をベースにしている。縄文時代というのは世界的に見ても特殊な時代らしい。食べ物を求め、移動する生活をした後、農耕するようになって定住するのが世界的な流れだが、日本では移動生活のあと、農耕ではなく「狩猟、漁労、採集」によって主に食料を得ながら定住していたらしい。そしてその期間が1万年以上と長きに渡って続いた。

農耕は、土地を開墾し、田畑を作ることによって可能になる。つまりムラの外にある空間は野良仕事をする場所(ノラ)であり、これから開墾していく対象だった。対して縄文文化では、ムラの外側にある自然空間は、開墾対象にはならない。そのままの原っぱ(ハラ)の状態で置いておき、そこにできた恵みを得るという形になる。この「自然との共存共生」を1万年以上という長い期間続けた特殊性が、日本人の価値観にずっと影響し続けているのではないか、というのが著者の主張である。

生活に必要なこともあってか、縄文人は自然をよく観察した。特に太陽と山は気にしていたもののようだ。縄文人の集落や、普段生活には使っていなかったようだが祭祀に使っていたかもしれない特別な場所に、太陽の運行と関係するものがあるらしい。例えば特徴的な山の山頂に冬至の日に日が沈む場所を見つけてそこに祭祀場を作るだとか、集落の中で二至二分の太陽が入る位置に大きな柱を置くだとかである。

日本語にはオノマトペが多いが、それも縄文時代から続いている「自然を観察する文化」が影響しているのではないかと著者は書いている。確かに日本人は、俳句等もそうだが自然を表現するのが好きなように思う。その流れが縄文時代からずっと続いてきたのならば、何ともロマンのある話である。

他にも土器の話とか、土偶の話とか、面白い話が沢山あった。考古学の研究というのは、想像力が必要な分野だ。実際にその時代の生活を見ることはできないから、出土したものから当時どういう生活をしていたのかを想像、推測する必要がある。著者は特に、出土した「もの自体」よりも、それを作り、使って実際に生活していたであろう縄文人をよりリアルに想像し、そこから当時の生活を導き出しているように感じた。

実際のところどうかはわからないので、考古学にはいろんな説があると思う。そんな中で、縄文人の生活をリアルに感じられる著者の考えは、確かに、本当にこうだったのかもしれないなと思えるものだった。

元々私は小6の授業で初めて歴史を習って、最初の四大文明や縄文時代で、歴史って面白いな!と思った1人なのである。どちらかというと最近の歴史よりも、古い古いこの辺りの歴史が好きだ。久しぶりにその時の気持ちを思い出したというか、当時の人の生活にワクワクした1冊だった。


ではまた明日。