かんがえこと-16 12.23
12.17(月)
もうとにかくなにも言わないことにした私は、なにも言わずただ発生したしごとに向き合うだけだ。
本を読む、感想を手紙にしたい、2018年のかんがえことを書く、「卒論」も書くと決めたら書く、「イベント」はやるのかやりたいのかやる気があるのかどうしたいのか、母の実家はなににできる、なにをしたいのかなにをつくりたいのか。
12.18(火)
ふた駅歩く。風がつめたい。日差しはやわらかくて強い、木々は葉を散らす。冬と春と夏と秋が同時に来たような。
まもなく終了する「ほぼ日手帳」を1月から読み返している。
12.19(水)
ほとんどのいらいらやもやもやはすべて自分が勝手に発生させたものだというのに、自分では昇華しきれないというか、ただ時間を待つしかなくて、そんなときに救われるのがお客だったりもする。とくべつなことはなく。ただ物を売ってお金をいただいて、あはは、と交わすだけで、スッ...と消えてゆくから不思議で。
家の前に着くと、いかにも「こんな時間にこんなとこで何してるの」な不自然な人物がいる。かんがえすぎにかんがえすぎてしまうので、すこし怖くなり、夜はテレビをつけたまま、寝る。
12.20(木)
かんがえすぎにかんがえすぎてしまうので、部屋にあった現金と印鑑などをかき集めてカバンに入れる。勤務もあと1時間、という頃になり、なんだか帰宅するのに緊張している。年内営業日はあと7日というところで、お得意先の名刺100名分、というのをやっている。
12.21(金)
坂口恭平「cook」がたまらない。創造性を刺激されて悶絶している。かわいい手描きの料理本、のようでいて、料理哲学、のようなものが、熱い。日々の栄養を創造するための料理、に向き合いたくなるし、やはり自分の手を動かして作る作業は、良い。
アルバイト採用の話の流れで、退職する宣言を、する。
ほんとうにこれで良いのかどうかなど、誰にもわからない。ひょうひょうとしているようでいて、実は怖がっていたりする。それはおそらく、ボスもだ。
12.22(土)
出勤。犬は、いなかった。
辞める、と意識したときからだけれど、宣言したのちは特に、ひとつひとつの作業、来る人来る人のやりとりが、すこしばかりゆっくり、体に刻まれてゆく感覚があって。かんがえことも、濃く深く重く、なってゆくのだろうか。
12.23(日)
今日もテレビをつけたまま寝ていると、天皇陛下のゆっくりと語られる声が耳に入ってきて、天皇誕生日か、あぁつまり母の誕生日か、と確認し、また眠る。
体をなんとかベッドからひきはがし、頭の中でぐるぐるしだす前に、家を出る。
こわい、と思いこんでいるのは自分で、結果だいじょうぶ、っていうのはわかるようになってきたけれど、そういう、緊張する、一歩たちどまって想像する、その感覚は忘れたくない、とも思う。
これでもかと本を買う。金額を計算するのはやめようと思う。本に関しては。
かんがえにかんがえてすぎてしまっていたけれど、なんとか今日までは、無事だった。
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