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不機嫌な音

 中学の友人の真希は、背の高い子だった。陸上部で、楽しい時には大きく口を開け、手を叩いてよく笑った。彼女のことを思い出すのは、決まって不機嫌な音を耳にした時だ。

 真希はエネルギッシュな反面、気に障ることがあると、ためらいなく苛立ちを態度に出した。例えば、彼女はスカートの短さや髪型を理由に、よく先生に呼び出されていた。その間、教室では、はぁ?と不服そうに言い残した彼女がいつ戻るか気が気でなかった。

 ダン、ダン、ダンッと、廊下を踏みつけるような足音が教室にまで届くと、つられて私の拍動も早くうるさくなった。姿が見えなくても彼女が戻ってきたとわかるのだ。嫌だな、そう考えている間に、木製の扉が思いっきり引かれる。ガラガラガラッ、バンッ!教室にいる全員が一瞬静まり返る。沈黙の中、仏頂面の彼女はガガガガッとわざと音を立てて椅子を引き、乱暴に腰を下ろす。

 どれくらい機嫌が悪いのか、声をかけるべきか、どんなノリで?張り詰めた空気の中、少しでも加減を間違えれば苛立ちの矛先は私に向く。が、スルーするのも不自然で余計に機嫌を損ねそう。私は彼女の顔色を伺いつつ、その場の最善の行動を猛スピードで考えていた。

 彼女が少しずつ笑顔になり、口数が増えるとホッとした。でも、自分ばかりが過剰に気を遣わされているような気がする。帰り道では彼女がいない卒業後の生活のことばかり考え、自分は絶対にそんなことはしまいと、彼女の行動を反面教師にするようになった。


 社会人二年目になった、この春のことだ。職場は大阪の中心部にあり、最寄り駅は毎朝通勤者と観光客で溢れかえる。その朝も、私は構内をわき目もふらずに歩いていた。気を抜けば座り込んでしまいそうな重い体を奮い起し、仕事に関する一切のネガティブな感情を振り切るようにズンズンと。

 その先の改札で、三人ほど前にいた小柄な女性が引っかかった。ピンポーンという音が、彼女の手元で赤いランプとともに鳴る。ハッとしたのも束の間、私のように前へ進むことしか頭にない通勤者たちは急には止まれず、ましてや咄嗟に他の改札への軌道修正などできない。前の人に衝突し、反動で下がった体に後ろの人がぶつかる。その繰り返しで、私の何人か後ろまで人がつかえた。

 私は、予想外に歩みを止められたことにカッとなって、無意識に息を吸い込み、はあっとため息をついた。止まった女性にも届くような、大きく聞こえよがしなため息だった。

 改札を出ると、いくつかある出口に通勤者たちがばらけ始める。解放感に安堵しかけたその時になって、急に恐ろしさが込み上げてきた。今、私は、わざとため息をついた。早くしてよ、迷惑をかけられたと、あの女性に苛立ちをぶつけて委縮させるために。 

 彼女が申し訳なさそうにしたら満足か?

 数秒の足止めがそんなに許せないか?

 ゾッとして、どうしようもなく恥ずかしく、申し訳なくなった。後ろがつかえていることなんて、本人が一番わかって、焦っていたことだろう。そこへ私の責めるようなため息だ。彼女に対し優位に立った気になって、留飲を下げようとした。私は、一番忌避してきたはずの真希と同じことをしたのだ。

 階段を上り外へ出る。満員電車で往復二時間の通勤。関心のない仕事に時間と体力を奪われ、帰りのスーパーでは自分が食べたいものすら分からない。休日にしたかったはずのことが、疲労で三割もできずに気がつけば一年経っていた……。そんな、狭量になった言い訳を考えて、より自分が許せなくなった。

 大人になったはずなのに、歩くスピードも、ため息も、自分で自分のことがコントロールできなくなっている。会社に着くまでの十分弱、何度か大きく深呼吸をし、小さめの歩幅でゆっくり歩いた。それが、今の私にできる精一杯の抵抗だった。

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